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バクティの精髄(3)

 あるバクタはこう言っている。

「おお、主よ! 私はあなたのもの。すべてはあなたです。私は独立した存在ではありません。私には何かを為す力はありません。あなたが私を道具として使って、すべてのことを為しておられるのです。
 おお、主よ! あなたはすべてに遍満していらっしゃる。あなたがすべてに遍満しておられるので、私は動くことすらできません。私はあなたのお体の上を歩いています。私は独立して生きることなどできません。なぜなら、あなたがすべてに宿っていらっしゃるのを見ているからです。あなたは男女として、または、道に杖をつきながらふらふらと歩く老人として現われます。すべてになっておられるのは、あなたなのです。私には独立性がありません。私はあなたの奴隷。奴隷には見解を選択する自由はありません。奴隷は主人に命ぜられたままに働く他ないのです。私は何も為していません。ただ、私を通じてあなたが行なっているだけなのです。あなたが行為者。あなたが楽を享受する者。私は何ものでもありません。すべてはあなたのご意思のままに。」

 これは最高のかたちの愛、神聖なる愛である。エゴは自己の存在を主張することはできない。なぜなら、すべてになっておられるのは神お一人であるからである。
 心は感覚的対象へのヴリッティへと変化することはあり得ない。なぜならば、神以外の対象は存在しないからである。愛される、あるいは嫌われる誰がいるというのだろうか? ゆえに、バクタは常に至福に満ちている。
 心は何も考えることはできない。なぜならば、すべては神だからである。

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