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ナーグ・マハーシャヤ(1)

 ナーグ・マハーシャヤ(偉大なる魂)という呼び名で知られるドゥルガーチャラン・ナーグは、1846年8月21日、東ベンガル州の小村に生まれました。少年時代から彼は非常に宗教的な性向をもっていました。あるとき彼の友人たちはナーグに対して無神論を説き、しばしば口論となりました。ナーグはたとえ口論で負けても、こう言い切るのでした。

「僕は神の実在について、ほんのわずかな疑いさえもってはいない。」

 その当時の伝統にのっとり、ナーグは若くして結婚をしました。そしてその後、医学の勉強に励みました。
 数年間、彼は医学の勉強と研究に没頭しました。そのため、彼が妻と顔を合わせる機会はほとんどなく、また、たまに近くにいることがあったとしても、世俗的な束縛を嫌っていたナーグ・マハーシャヤは、妻に誘惑されないようにと、一晩中、木の上に登ってすごすこともありました。
 そして突然、この若い妻は、赤痢を患って、亡くなってしまったのです。この出来事は、深くナーグの心を動かしましたが、同時に、神が自分を世俗的束縛から救ってくれたと感じ、幸せに思いました。

 彼は近隣の貧しい人々の治療を始め、無償で薬を配りました。ナーグは薬の処方において天才だったので、次第にその名声は広がり始めました。もし彼が望めば大金を稼ぐこともできたでしょうが、ナーグはそのような生き方はとりませんでした。彼の理想は金儲けではなく、ただ病人や貧しい人々に仕えることだったからです。

 あるときナーグは、スレーシュ・バーブと出会いました。初対面以来、二人は生涯の友となり、会うたびに、宗教的な問題についてのみ論じ合うようになったのでした。
 
 ナーグは徐々に医学への興味を失い、宗教書のみを読むようになっていきました。たまたま学者に会う機会があると、経典の真の意味を説き明かしてくれるようにと熱心に懇願しました。彼は毎日沐浴をし、定期的な断食の儀式を遵守しました。毎日、黄昏時になると火葬ガートに赴き、一人でそこに座って、夜遅くまで思索に没頭するのでした。ナーグはいつも何時間もそこに座り、考えました。

「むなしい、むなしい、すべてがむなしい。神だけが真実である。
 神を見出すことができなければ、人生は真に重荷である。いかにして私は彼を実現すべきであろうか。誰が私に、その道を示してくれるのだろう。」

 時々その火葬場に修行者たちがやってきましたが、彼らのほとんどは超能力的なパワーの探求者であり、神への純粋な愛を求めている人はほとんどいませんでした。ただ一人、ある年老いたブラーフミンだけが、ナーグに尊敬の念を抱かせました。彼はタントラ行者として規則的に儀式を行なっていましたが、宗派にとらわれた狭量な見解の持ち主ではなく、進歩的で、優れた洞察力を具えていました。彼は明快かつ丁寧に、ナーグに、タントラ派の修行の意義と、六つのチャクラの秘密を説明しました。

 この年老いたブラーフミンの指示にしたがって、ナーグは規則的に火葬場に行き、夜の静寂の中で、ジャパと瞑想に励みました。
 

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