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カダム派史(3)「ガーリーにおけるアティーシャ」

3.ガーリーにおけるアティーシャ

 アティーシャがガーリーに到着したとき、チャンチュプ・ウーは盛大に歓迎し、アティーシャに今までのいきさつを伝えた。

 後に、チベットの諸師がチャンチュプ・ウーに、チベットにやってきたパンディタたちの徳について尋ねると、「彼にはこれこれの徳があった。彼にはこれこれの徳があった」と答えた。しかしアティーシャの徳について尋ねられると、チャンチュプ・ウーは空を見つめ、涙に声を詰まらせて、
「彼の徳は、えーと・・・・・・彼の徳は、えーと・・・・・・」
と言うだけであった。つまりアティーシャの徳と、アティーシャに対するチャンチュプ・ウーの信は、言葉では表せないほどのものだったのである。

 さて、話を前に戻すと、アティーシャはガーリーのトディン寺において、チャンチュプ・ウーおよびその他の多くの者に、秘密の教えの多くのアビシェーカやウパデーシャを与えた。

 そしてチャンチュプ・ウーが、
「チベットには、正法と一致しないこれこれの教えがございますから、それらを対治するための論書をお書きください」

と懇願したので、アティーシャは「ボーディパタ・プラディーパ(菩提道の灯火)」という、三段階の魂のプロセスを教示する書物を著述した。すなわち、

「第一に、劣った魂の修法は、死を念ずることであり、もしもこの現世から心を背けることがないならば、真の仏教者とはいえない。
 第二に、中くらいの魂の道において、五蘊をわれであるととらわれるならば、解脱を得ない。
 第三に、偉大なる魂の道において、菩提心を発しないならば、大乗の道には入れない。
 その大乗の道もまた、ただ空のみを修習することによってはブッダになることはできず、方便と智慧の二つをともにおさめなければならない。」

などと述べて、もっぱら空の修習だけを説く者たちの驕慢を取り除いた。また、

「また、真性を知る者ならば別であるが、第二・第三アビシェーカにおいて即時的な実習をなすことは不適当である。」

と説き、真性を悟っていない者が、タントラ聖典に説かれる性的なヨーガを文字通りに実習することは正しくないと説いた。

 また、行為と果報のカルマの法則について繰り返し説いたので、「行為と果報のパンディタ」と呼ばれるようになった。このようなあだ名をつけられたことを知ったとき、アティーシャ本人は、
「単に名前だけでも他者を利益するということがあるが、それはまさにこのことである。」
と言って喜んだ。

 さて、トディン寺には、リンチェン・サンポという翻訳者が住んでいた。彼は、
「アティーシャよりも私の方が徳が高いと思うが、彼はチャンチュプ・ウーによって招請されたのだから、私は彼に奉仕をせねばならぬ。」
と考えて、あるとき、アティーシャをトディン寺に招いた。そこにはタントラの諸々の尊像が描かれてあったが、アティーシャはそれらの尊像の一つ一つに対して礼賛の詩を唱えて、座に着いた。
 リンチェン・サンポが、
「さて、今お唱えになった礼賛の詩は、どなたがお作りになったものですか?」
と尋ねると、アティーシャは、
「私自身が今、即興で作りました。」
と答えたので、リンチェン・サンポはアティーシャの智慧に驚き、萎縮してしまった。

 アティーシャはリンチェン・サンポに、
「あなたはどのような法に通達しておられるか」
と尋ね、リンチェン・サンポは、自分が通達している多くの法を概略して述べた。それを聞いたアティーシャは、
「おお、あなたのようなお方がチベットにおられるとわかっておれば、私はチベットに来る必要はなかったのに。」
と言って、合掌した。そしてさらにアティーシャは、
「偉大なる翻訳者よ。それらのタントラ部の意味を一つにまとめて習得するためには、どのようにすればよろしいと思うか。」
と尋ねた。リンチェン・サンポは、
「各々のタントラに説かれているところに随順しておこなうべきでしょう。」
と答えた。それを聞いてアティーシャは、
「やはり私はチベットに来る必要があったようだ。それらは一つに集約して習得する必要がある。」
と言って、「真言神変鏡」という解説をした。そこでリンチェン・サンポも、アティーシャを非常に信服するようになった。
 リンチェン・サンポは、「このお方は大学僧の中の大学僧である」と考え、チベット語に翻訳されている大乗仏典や論書の再翻訳をアティーシャにお願いした。するとアティーシャは、
「私はウに行く。そのために、私と共に行き、通訳をしてくれる者が必要だ。」
と言った。しかしリンチェン・サンポはそのとき85歳という高齢だったので、帽子を脱ぎ捨てて禿頭を見せると、
「私の頭はこのようになってしまったから、共に行くことはできないのです。」
と答えた。

 ところで、このリンチェン・サンポは、学問は多く学んでいたが、修行の成就はなしえていなかった。そこでアティーシャは彼に、
「おお、偉大なる翻訳者よ。輪廻の苦しみは耐え難く、私は無量の衆生を救わなければならないので、あなたもサーダナ(成就法)をおさめて、早く成就しなさい。」
と言った。
 リンチェン・サンポはその指示を受け、そのときから、成就法のために寺に引きこもった。彼は寺に三つの門を作り、その一番外側の門には、
「この門の中に、輪廻に執着する心が一瞬といえども生じた場合には、諸々のダルマパーラ(護法神)は、私の頭を引き裂かれよ。」
と書き、また真ん中の門には、
「自己の利益を考える心が一瞬といえども生じた場合には、諸々のダルマパーラ(護法神)は、私の頭を引き裂かれよ。」
と書き、また一番内側の門には、
「この門の中に世間通常の分別が一瞬といえども生じた場合には、諸々のダルマパーラ(護法神)は、私の頭を引き裂かれよ。」
と書いて、寺に引きこもり、サーダナに専念した。彼は10年間に渡って、ひたすらにサーダナに励んだ。その結果、シュリーサンヴァラ・マンダラが目の前に現れた。彼は97~8歳の頃に亡くなったが、遺体を燃やしたとき、多くの神々がそこにやってきて彼に供養をおこなうのを、村の子供たちに至るまでの多くの人々がその目で見た。

 さて、チャンチュプ・ウーはアティーシャに対して、
「私はタントラとしてはグヒャサマージャを信じ、神としてはローケーシュヴァラ(世自在菩薩)を信じています。」
と言った。そこでアティーシャは、ジュニャーナパーダ流のグヒャサマージャ・マンダラの主神をローケーシュヴァラにアレンジした成就法を作成した。

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