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『釈迦牟尼如来』(4)

 サキャ族の王子、ゴータマ・シッダッタはこうして29歳で出家し、まずアーラーラ・カーラーマという師匠のもとへ行って弟子入りしました。
 アーラーラ・カーラーマは、「無所有処」という境地に達していました。ゴータマはアーラーラのもとで修行に励み、程なくして師匠と同じ無所有処の境地に達してしまいました。
 そこでアーラーラ・カーラーマは、ゴータマを褒め称え、弟子であるゴータマを自分と同等の地位に置き、ともに弟子たちを率いていこう、と誘いました。しかしゴータマは、
「この法は、厭離に導かず、離欲に導かず、止滅に導かず、寂静に導かず、知に導かず、正覚に導かず、ニッバーナに導かない。ただ無所有処に導くのみである。」
と考え、アーラーラ・カーラーマのもとを去ったのでした。

 次にゴータマは、ウッダカ・ラーマプッタという師匠のもとを訪ねました。彼は無所有処よりもさらに高い、非想非非想処という境地に達していました。ゴータマはラーマプッタのもとで修行に励み、程なくして師匠と同じ非想非非想処の境地に達してしまいました。
 そこでウッダカ・ラーマプッタは、ゴータマを褒め称え、弟子であるゴータマを自分よりも上の地位に置き、どうか弟子たちを率いてください、と言いました。しかしゴータマは、
「この法は、厭離に導かず、離欲に導かず、止滅に導かず、寂静に導かず、知に導かず、正覚に導かず、ニッバーナに導かない。ただ非想非非想処に導くのみである。」
と考え、ウッダカ・ラーマプッタのもとを去ったのでした。

 ラーマプッタのもとを去ったゴータマは、無上の絶妙なるニッバーナの境地を求めて、マガダ国の中を遊行しつつ、ウルヴェーラーのセーナー村に入りました。そこの緑豊かな森林を、修行に最適な場所と考え、ゴータマはそこで苦行生活に入りました。

 こうしてウルヴェーラーのネーランジャラー河のほとりで、長年にわたって苦行に励んでいたゴータマに、ある日、ナムチという悪魔が近づいてきて、言いました。
「あなたはやせていて、顔色も悪い。あなたの死が近づいた。
 あなたが死なないでいられる見込みは、千に一つの割合だ。君よ、生きよ。生きたほうが良い。命があってこそ、もろもろの善行をなすこともできるのだ。
 ヴェーダが示すごとく清らかな道を修め聖火に供物をささげれば、君は多くの功徳を積むことができる。それなのに、そのような修行にいそしみ励んで何になろうか。
 努め励む道は、行きがたく、行いがたく、達しがたい。」

 こう言われたとき、ゴータマは、悪魔ナムチに対してこう答えました。
「怠け者の親族よ、悪しき者よ。私には、世間の善業を求める気持ちは微塵もない。君は、世間の善業の功徳を求める者にこそ語るがよい。
 私には信仰があり、努力があり、智慧がある。このように専心している私に、汝はなぜ、命を保つことを勧めるのか?
 精進から起こるこの風は、河水の流れをもからすであろう。ひたすら専心せる我が身の血が、どうして枯渇しないであろうか?
 血が枯渇したら胆汁も痰も枯れる。肉がなくなると、心はますます澄んでくる。わが念と智慧とサマーディとはますます安立するに至る。
 このように安住し、最高の感覚に到達している私の心は、さまざまな対象に対して欲望を起こすことがない。わが精神の清らかさを見よ。
 汝の第一の軍は愛欲であり、
 第二の軍は心の不満と呼ばれる。
 第三軍は飢渇であり、
 第四軍は心の渇きといわれる。
 汝の第五軍は心の沈欝と鈍重であり、
 第六軍は不安といわれる。
 汝の第七軍は疑いであり、
 第八軍は、己の罪を覆い隠そうとすることと、心の頑固さとである。
 利得と、名誉と、尊敬と、邪なことによって得られた名声と、己を褒め他をそしることと、
--ナムチよ、これらは汝の軍である。黒き魔の攻撃軍である。勇者ならざる者はこれに打ち勝つことができないが、勇者は打ち勝って楽を得る。
 この世の人々も天の神々も汝の軍には打ち勝てぬが、私は汝の軍を智慧によって砕く。
 この私が敵に降参してしまうであろうか? この世における生は、いとわしい。私は、破れて生きるよりは、戦って死ぬ方がましだ。」  

 これを聞くと悪魔は、
 「われは七年間もゴータマに付きまとっていたが、付け込む隙を見出すことができなかった。」
と言って、消えうせてしまいました。

つづく

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