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ジグメ・リンパの生涯(10)

 ジグメ・リンパの人格は、深遠で、力強く、そして直接的でしたが、しかし彼は愛情にあふれ、シンプルで、そして共にいて心安らぐ人物でもありました。彼自身、こう述べています。

「私の感じ方は、赤ん坊のそれのようでした。子供と一緒に遊んで楽しんだりさえしました。私は深刻な欠点を抱えている人と会うとき、たとえその人物が、宗教的な指導者や寛大なダルマの後援者であっても、その個人的な欠点を彼らの目の前に露わにして見せました。
 ・・・・・・座る、歩く、眠る、または食べるという一切の行いにおいて、私は[『その状態』の中に]心を固定しました。つまり、究極的な本性の輝きから心を決して離れさせませんでした。
 もしそれがダルマに仕えるということであるなら、私は自分自身をその完成に捧げました。たとえそれが不可能な課題であるとしても。」

 

 43歳の時、彼は25巻のニンマ派のタントラを集めて、写本を依頼し、そしてニンマ派タントラの歴史を書きました。後に、ジグメ・リンパとドドゥプチェンのアドヴァイスにより、デゲの国王と女王の摂政は、彼のニンマ派タントラ全集の木版の原版作製を命じ、それらの原版は、現在もまだ印刷に使われています。

 57歳の時、サキャ派のティチェン、ンガワ・パルデン・チョキョンの招きで、彼はサキャ派のもとへ行き、ティチェン、彼の兄弟、ならびにサキャ派の現職のケンチェン、アーナンダ・シュリーバヴァ、そして多くの者たちに教えと伝授を授けました。

 彼がサキャ派のもとから戻ると、後にドドゥプチェン(1745-1821)として知られることになるラマ・ソナム・チョデンが、教えを受け取るためにカムからやって来ました。ドドゥプチェンは彼をタントン・ギャルポと見分け、そして反対にジグメ・リンパはドドゥプチェンをラセ・ムルム・ツェポのトゥルクと見分け、彼にジグメ・ティンレ・オーセルという名を与えました。 ドドゥプチェンを通じて、ゾクチェン・リンポチェ3世とデゲの国王は、彼にカムへ来るようにという伝言を伝えましたが、彼は高齢と健康と同時に、馬による困難な旅に対する不安を理由に、それを断りました。

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