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「解説『バクティヨーガ・サーダナー』」第一回(3)

 はい、で、二番目は「神の御名やマントラを唱える。神を瞑想する。」これはこのままですね。

 はい、三番目が「師や法友と共に集い、教えを学ぶ。」これはいわゆる、サットサンガっていうやつですね。こういう感じで勉強会とか、いろんなかたちで師や法友と集い、教えを学んだり、あるいは例えば、それぞれの体験をね、語り合ったり、それぞれの神への思いを語り合ったりして、交友を深めるっていうかな。
 前も言ったけども、やっぱりその、これはお釈迦様もいつも口を酸っぱくして言ってる。「悪友と交わるな」と。「善友と交われ」と。あるいは、お釈迦様の有名なあの『スッタニパータ』――原始仏典の最も古いといわれる一つの『スッタニパータ』の一番最初の方で、有名な教えとして、「サイの角のように一人行け」って教えがあるよね。あれはさ、何度も言ってるけど、実際にはその前があるんですね。実際には、「素晴らしい明敏なる友を見つけたならば、何はさておいても彼と共に歩め」と。「しかし、もしそのような偉大な友を見つけられなかったならば、むしろ一人で行け」って(笑)。悪友とは交わるなと。
 つまり、それだけ――われわれが悟ったら別ですけど、もしくはラーマクリシュナが言うような、牛乳がバターになったら別にいいんだけど、まだわれわれがそこまでいってないときっていうのは、まあ皆さん分かると思うけど、人間っていうのはかなり、もうもともと社会的な生き物なので、人の影響を受けるわけですね。人の影響を受けるっていうよりは、われわれの存在の半分以上は人の影響です。ね。だから交わる人っていうのは、もちろん大事なわけですね。
 結構われわれは、われわれ自身が考えているよりも、そんな確固とした存在じゃない。かなりあやふやな存在です。あやふやな存在っていうことは当然、周りの人、交わる人の影響を受ける。だから、お互いに神への思いが増すような、あるいは、心が一緒にいて話したりすることで純粋化されてくような仲間と交わりなさい、ということだね。

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