yoga school kailas

「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第11回(6)

◎祈りはかなう

 ではここまで質問その他ある人いますか?――特にないかな?

 ではいったんちょっとまた、歌をいきましょうかね。

(歌)

「願い」

 ただそこにクリシュナだけがある。
 ただそこにあなただけがいる。
 ただそこに女神様だけがいる。
 ただそこにあなただけがいる。
 既知を超え、未知を越え、今をも超えて、
 ただそこにあなただけがいる。

 これもあなたです、これもあなたです。

 手放すべきは、心の汚れ。
 希望と恐怖、思い出と後悔。

 でもそれさえも、あなたです。

 すべてはあなたなので、
 私はすべてを受け入れて、
 ただあなたの教えを
 生きる指針として
 生きます。

 シャーンティデーヴァよ、あなたの祝福により、私の念正智を確固たるものにしてください。
 ラーマクリシュナよ、あなたの祝福により、私のバクティを完全なものにしてください。
 グル・リンポチェよ、あなたの祝福により、私の叡智を完全なものにしてください。
 クリシュナよ、あなたの祝福により、私を神のただの道具にしてください。

 こだわりなく、しかし無でもなく、
 燃える炎のような、神の僕として
 働かせてください。

 すべてはあなたなので、
 私はすべてを受け入れて、
 ただあなたの教えを
 生きる指針として
 このリーラーを生きます。

 この歌では、「シャーンティデーヴァよ」とかね、祈りの文句が出てきますが、前にもちょっと言ったけども、われわれが例えば、「ああ、シャーンティデーヴァよ」と。あるいは「ラーマクリシュナよ」と。あるいは、「クリシュナよ」とか「ラーマよ」とか祈るときっていうのは、これは一つの真理として言うけども、例えば「シャーンティデーヴァよ」って祈ったとき、実際にシャーンティデーヴァいます、ここに。あるいは皆さんが「ラーマよ」って祈ったとき、実際にラーマはいます。
 これはね、真実なんです。真実っていうのは、なんていうかな、祈って、来てくれたとかそういう意味ともちょっと違うんだよ。例えば、「クリシュナよ」って言ったら、「お、よし!」と思って、ガーッってクリシュナがやって来るとかそういう話ではないです(笑)。

(一同笑)

 そうじゃなくて、皆さんが本当に祈りを捧げるときっていうのは、そこにいるんです。実在してる、そこに。
 だからね、前もこれも言ったけども、祈りってね、叶うんです。あの、本当の祈りだったらね。祈りがもし叶わないとしたら、一つは、祈ってない。うん。つまり自分で駄目だと思ってるっていうか。つまりかたちだけその言葉を心で繰り返してるかもしれないけど、本当の意味で祈ってない場合ね。これは祈りじゃないよね。じゃなくて本当に祈った場合、叶います。もちろん叶うってここで言ってるのは、あくまでもその人を幸福にする方向で叶います。だからそれは、自分が表面的に思ってる道とは違う場合もあるよね。
 例えばどういうことかって言うと、そうだなあ……例えばちっちゃい子供がいてね、ちっちゃい子供が、おもちゃのお菓子を食べようとしていたとするよ。うん。でもそれは、もちろん危険だから食べさせてもらえないと。で、子供が「ああ、あれ食べたい、あれ食べたい」と。で、大人はそれに対して、「ああ、分かった、分かった」と。「じゃあケーキ食べに行こうね」と。でもこの子供は分かってないわけだね。「なんでわたしをあのケーキのおもちゃから離すんだ」と。つまり本物のケーキっていうものをよく分かってないから。でも大人としては、ちゃんとその子供の欲求、つまり「この子はおもちゃと本物の区別がついてない」と。「でもこの子が本当に欲してるのは、本当のケーキである」と。つまり食べたいと思ってるわけだから。よって、本当のケーキ屋さんに連れて行くと。でもこの子は、なんか引き離されたように思ってしまう。これと同じことが起きてるんだね。われわれの本当の心から欲求してるものっていうのは、表面的な、現世的なものとはちょっと違うんだけど、それを主は分かってくれていて、で、われわれの祈りに応えて、そっちの方に持っていってくれるんだね。
 もちろん、小さな修行上のことっていうのは、よく叶ったりします。ちゃんと祈ればね。あるいはもっと言えば、自分のけがれを落としてくださる。
 あのさ、例えば皆さん、苦しいこととかあるでしょ? 日々。あるいは自分が乗り越えられないこととかあるでしょ?――祈ってください。なんか簡単な話ですけどね(笑)。「ああ……」と思ったら、祈ってください。うん。叶います。あるいは乗り越えられます。なんか今日はすごく単純な話ばっかしてるけどね。乗り越えられない問題にぶつかったら祈ってください。乗り越えられます、本当に(笑)。これは、実は真実なんです。で、この法則を――まあこういうことはよく一般的に言われるわけだけど、誰も信じてないから叶わないだけなんだね。
 もっと言えば、われわれは思ったようになります。だから思ってください。さっきから言ってるけど、思い込んでください。本気で思い込み、本気で祈ったら絶対そうなります。これは宇宙の真実です(笑)。
 で、もう一つ言うと、さっきも言ったように、われわれが祈るとき、そこに神はいます。あるいは神を念じただけでもそこにいます。前も言ったけど、この祭壇にももちろんいるからね。でも、何度も言うけども、グーッって来てここにいるとかそういう話じゃないんだよ。だから今日言ってるのは、ちょっと言葉では表わしにくい真実ですね。皆さんが今知ってる、知ってるっていうか、思い込んでるこの世界の現実みたいなものを壊さないと分からない真実なんだけど。だからちょっと答えだけ言ってるんですけどね。ちょっと意味分かんないかもしれないけど、一応答えを言うとそういうことですよっていうことです。祭壇には神がいるし、皆さんが祈りを捧げたときには神はいる。
 あの、なんだっけ、エッセイ集にもわたしそういうこと前書いたけどね。今朗読であるけども。「クリシュナの絵の中にクリシュナがいる」っていう書き方したけども、あれもそうなんだね。あれももう一回言うけども、「あ、クリシュナの絵があるから、そこにグーッって入ってやろう」ってそういう意味でもないんです。そういう意味じゃなくて、クリシュナの絵があるところにはクリシュナがいるんです。ラーマの絵のあるところにラーマはいる。あるいはラーマを思う人がいるところにはラーマがいるんです。それはもう真実なんだね。で、もう一回言うけど、その祈りっていうのは必ず――心から祈ったならばですよ。心からっていうのはもちろん強さも問題だけども、強さ以前に、祈ってないんだね、普通の場合ね。何度も言うけども、信じてないっていうか。だから普通に素直に祈ったら、叶います。
 だからやっぱり、バクティの道っていうのは素直さが一番なんだね。純粋さっていうか。子供みたいな素直さね。「あ、神様!」っていう感じで。本当に全く、まあ疑いというよりも、その、変な、こう、知的な概念がないっていうかな。うん。「そんなのいるわけねえ」とかね。そんなのが全然ないと。「あ、神!」と。普通にこう壁がないかたちで祈る。もしくは思うことができたら、それは当然ストレートに叶うっていうか、届くんだね。届いて叶うと。
 だからこの歌もそうですけども、日々――これもだいぶ前に同じような話したけどね。日々祈ってください。祈りっていうものを皆さんの、なんていうかな、生活にもっと入れていったらいいね。なんかあったら祈ったらいい。うん。なんかあったら――あ、祈りっていうのは、もちろんその、単純な、努力しないでただ祈るだけじゃもちろん駄目だよ。しっかりと、さっきから言ってる菩薩行を歩く、神のしもべの道を歩くっていうのを大前提として、その中でいろいろあるでしょう。そのたびにしっかり祈ってください。必ず道は開けるし、皆さんが頭で理解できなくても、一番いい方向で引っ張ってくださる。神というのはね。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする