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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第二回(13)

 あの、これも何回か言ったかもしれないけど、菩薩――まあ普通の修行でももちろん大変なんだけど、特に菩薩道っていうのは、必ず――ちょっとこういうこと言うと先入観になっちゃうかもしれないけど、必ず壁にぶち当たります。あるいは必ず挫折します。あるいは必ずつまづきます。つまり、つまづかないで行けるような道じゃないんだね。で、大事なのは、これもいつも言うように、つまづかないことではなくて、大事なのはつまづいてもすぐに立ち上がることです。こっちの方が大事です。そういう意識を常に持ってないといけない。
 これはわたしもそうだったんだけど、最初は、なんていうかな、ちょっとこうプライドが高くて――で、勢いで修行しているとね、「おれは何があっても大丈夫だぜ」って感じでガーッて勢いでいくわけだけど。そういうタイプの人って――そういうタイプっていうか、あまりその、なんていうかな……そういう準備がないとね、ガーンとぶち当たると。で、そうするともう「ああ、おれはもう駄目だ」と(笑)。あるいは「もうおれはどうでもいい」と言ってもうしばらく停滞するわけですね。で、これは非常にもったいない。まあ、停滞だけならいいけど、修行をやめてしまう人もいる。非常にもったいない。
 そうじゃなくて、最初から覚悟を決めるわけです。「わたしは今、無智でよく分からないが、相当な偉大な道を歩もうとしている」と。「よって困難も相当多いはずだ」と。「しかし、わたしはどんな困難があっても――当然くじけないで進めれば最高なんだけど、途中でぶつかったり、くじけたり、つまづくこともあるだろう」と。しかし「すぐに立ち上がるぞ」と。ね。「無駄な停滞はしないぞ」と。そういう気持ちで常にいるんですね。それによって何度も何度もぶち当って倒れても、また立ち上がれるようになる。だからそれは皆さん、心にそれは持っておいた方がいいね、常にね。
 もう一回言うけども、倒れなければ最高ですよ。しかし――だから最初は「何があっても倒れないぞ」っていう気持ちは大事です。しかし同時に、「倒れてもすぐ立ち上がるぞ」と。「そんな卑屈になったりとか、無意味な停滞はしないぞ」と。そういうその気持ちが大事ですね。そのくらいの覚悟っていうかね。
 はい、これが、菩提心を諦めない力、何があっても決して自分が最初に決めた「衆生のために仏陀になるぞ」っていう決意をあきらめない、ということですね。
 ここで「あきらめない」って言ってるのは、修行の道をやめるだけではなくて、なんていうかな、「まあ、仏陀までいかなくもいいか」とかね。これも駄目ですよ(笑)。つまり、「仏陀になるぞ」と。「仏陀にならないとおれは衆生を救えない」と。でも「仏陀だ!」って思ったんだけど、あまりの苦しさに「まあ、そこまでやらなくていいかな」と。「ちょっと仏陀の二歩手前くらいでちょっと妥協しておこうかな?」と。「そうしたら苦しみも少なくなるから」とかね。そういう妥協もしちゃいけないっていうことです。一度、仏陀を目指して歩き出したら、何があっても進み続けると。
 で、ちょっと皆さんに希望を言うならば、進み続ければ必ず誰でも仏陀になります。ね。だから大事なのは何度も言うけど、あきらめないことだね。あきらめなければ必ず仏陀になる。

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