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ヴェーダーンタの実践(9)

10、まず第一に、われわれの感覚が存在する。しかしそれらは他の何かと関連している。それらはそれらだけでは何も知らない。何より、それらはその知恵に関してさえ、心に依存している。なぜなら心は、認識する上で欠くことのできない媒体であるからである。
 心も同様に有限であり、われわれ人間の叡智は、あたかもそれはもともとそうであるかのように限定されている。そしてそれは有限である知識と関係している。
 この結論に達して、再びわれわれ自身の本性について熟考するならば、われわれは自らの内に不滅なる要素を見出す。一切の変容された叡智はそれに関連しているのだ。
 聞き、見、気づき、知るものは真我である。それは知識のさまざまな行為と共に消えることなく、それら一切の行為において変わることなく、その行為は真我なしには存在することそのものが不可能である。
 魂の中の魂であり、それ自体は抽象的概念の中の知識にすぎず、あらゆる限定から解放されていて、知識の対象から独立していることを、一言で言うと「真我」というのだ。
 それは「光の中の光」であり、「生命の中の生命」であり、「心の中の心」である。
 それは、すべての原子の中で振動する秘密の「生命」である。
 それは、すべての生きとし生けるものの中に輝く秘密の「光」である。
 それは、唯一なるものの中ですべてのものを抱擁する秘密の「愛」である。
 それは、すべての心の中にある一切の活動の「静かなる観照者」である。
 それはウパニシャドのブラフマンなのである。

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