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「聖者の生涯 ナーロー」⑨(8)

◎慈愛・慈悲の心の重要性

 「同様に、もし正しく瞑想しなければ、感情は輪廻の因となるが」云々――これはさっき言ったことと同じね。つまり感情というもの、これは普通は悪いものとされるわけだけども、この正体っていうのはさっき言ったように純粋なエネルギーであったり、あるいは純粋な心の――例えば菩提心にしろ、あるいは神への愛にしろそうだけど――そういったわれわれを高い世界へ導く純粋な心が、われわれの中に隠されているんだっていうことですね。よって――そのスイッチを入れるもの――つまりわれわれの中でね、そのスイッチを正しい方向に向けて、そしてそれを安定させてくれるものが瞑想なんだと。だからしっかりと瞑想しなきゃいけないと。
 もちろんいつも言うように、その瞑想の前段階がまず大事なんだけど。しっかり前段階を、徳を積んだり教えを学んだり気を通したりやって、そしてしっかりと瞑想すると。それはさっきわたしが経験として言ったように、心の内側に集中する瞑想であったりとか、あるいは自分の観念を引っぺがしていく瞑想であるとか、あるいはちょっとさっきも若干出たけど、関係ないようで実は慈愛の瞑想あるいは慈悲の瞑想っていうのは、この本質を悟るにはとてもいいんだね。
 ちょっとこれは話が広がっちゃうけども、一つのこれはアドバイスっていうかな、ワンポイントアドバイスとして言うけども――慈悲の瞑想。慈悲っていうのは、そうですね、ちょっと簡単にだけ言うけども、すべてを受け入れる瞑想。受け入れる。ね。受け入れるですよ。受け入れるっていうのは、「あの人は駄目だ」――こういうの全部なくすわけだね。あるいは「こういうのは嫌だ」――これもなくすわけです。受け入れるんです。まずは分かりやすいところから言うよ。周りの人、自分の知り合い、知ってる人全部受け入れるんです。受け入れるっていう意味は多分みんな分かるでしょ。もしここで「受け入れるってどういう意味ですか? 分かんない」っていう人がいるとしたら、多分それはエゴの働きです。エゴがブロックしています。分かんないふりをしているだけで(笑)、多分分かると思います。受け入れるんです。受け入れるっていうのは――じゃあ、もうちょっと分かりやすい言葉を使うならば――全員が全員、わたしの知り合い全員が、親友だと思ってください。分かりやすく言うならばね。親友。あるいは、最高の愛する人だと思ってください。これが受け入れるってことだね。それをもちろん知り合いだけではなくてすべての生き物、あるいは最終的には世界そのものまで広げていくんだね。すべてを受け入れる。
 こういう意味での慈愛、慈悲の心。これを高めていくと皆さんは、さっき言ったこの世の純粋なるエネルギー、純粋なる至福の世界を悟ることができますと。一見関係ないような感じがするんだけど。これはわたしの経験からくるアドバイスですね。だからこれは是非皆さんの中心的な修行にしてください。
 もう一回言いますよ、すべてを受け入れる。言い方を変えると、わたしの知ってる人々全員が親友であると思ってください。わたしのかけがえのない親友なんだと。全員普通の友達じゃ駄目ですよ(笑)。平等はいいんだけど、全員仲良くない友達であると。これはあまり価値の無い平等心だね。じゃなくて、全員が親友であると。その気持ちをもって、知り合い、あるいは知り合いだけじゃなくて町で出会う人もすべて含めてね、受け入れるんだね。で、それができたならば、皆さんの心が広がるだけではなくて、皆さんを覆っているヴェールみたいなのがちょっとこう弱まってきて、本質的な世界に近づくと思います。

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