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「意識が固定されることの恐ろしさ」

◎意識が固定されることの恐ろしさ

 はい。ここまで何か質問等ありますか。

(U)一回ここに行っても、また詰まるってことはありますか。

 それはあるね。うん。

(U)じゃあ、また以前の意識状態みたいになる。

 そうそう。ただし、一回通ってれば再び通すのは楽。だからパイプの詰まりと同じと考えたらいい。

 たとえば、もう我々はね、何十年も掃除してないパイプを体が持ってるんです。それを、たとえば台所のパイプみたいなものを、まあ、過去生も入れればね、何百年もほっといたと。さあ、掃除するかって、大変じゃないですか。かなり時間かかる。

 けど、いったん通ってしまえば、――あ、でもなんか一週間くらいほっといたからまたちょっと汚れが付いたと。でもそれは掃除するのは簡単じゃない? それと同じだね。だから一生懸命修行してガーッと取っちゃえば、その後怠けてちょっと詰まっても、また通すのは前よりは簡単です、全然。

 ただしね、怖いのは、意識状態の方が怖いね。つまり意識状態が下に下がりすぎた場合、人間の意識っていうのはその世界に固定されてしまうんだね。ま、その話は前から何度も言ってますけども。

 有名な話で、ある神の王の話があって。これはどういうことかというと、神々の王が、ある事情があって、豚に乗り移ってあることをやらなきゃいけなかったと。で、その仕事をするために天界の神の体からすーっと魂を抜いて、豚の体に入った。で、豚としてちょっとある役割をやって。そして天界でね、その神の部下たちが、「はい、じゃあ仕事終わったんで、王様、早く戻ってきてください」って言ったんだけども、その神はずーっと豚のままブーブー言ってる(笑)。

 「あれ、どうしたんですか?」と言っても全然戻ってこないんだね。で、ブーブーなんか豚の家族で楽しそうにやってる(笑)。で、あまりにも戻ってこないんで、シヴァ神が、天界からこの豚を殺したんです。殺してその神の魂を抜き取って、グーッと天界へ戻した。で、その神がパッと戻ってきて、で、部下たちは聞いたわけですね。

「王様、いったいなんであんなに長く豚にとどまっていたんですか?」

と。そしたらその神が言うには、

「いや、なんか楽しかったんだよ」

と(笑)。

「豚にいる時、なんか豚もいいなと思った」

と。

 だから我々の意識って、はまっちゃうんだね。我々が見ると、「え? 豚なんか」って思うけども、豚になっちゃうと、なんか豚っていいなと。低いところに入ったときっていうのは、もうそれが全てになっちゃう。客観的に見れないんだね。これはいいけどこれはちょっとな、とかいうふうには見れない。その世界が自分の全てになってしまう。これが人間の恐ろしいところだね。

 それは皆さんもよく経験することがあるかもしれない。昨日まで崇高で、「いや、俺は修行してもっと心を浄化して」って思ってたのが、「いやあ、やはり人生は性欲だ」とかね。「人生お金だ」とか。そういう意識状態になってる時、もうそれしか見えない。そうなると恐いんだよね。そうなるとつまり何が恐いかっていうと、上に上がろうとする努力ができなくなってしまう。でもそうじゃなくて心の中に、「いや、気をしっかり上げなきゃいけない。意識をもっと変えなきゃいけない」っていう意識があればね、努力するだろう。努力すれば必ず、いったん通ったものが通りやすくなる。

 だから、我々の今の日本の社会だとエネルギーが下がらざるを得ない。つまり一生懸命修行してグーッと上に行っても、たぶんいろんな意味で下がります。いろんな意味っていうのはまず、物理的な意味。物理的な意味っていうのは、日常生活で特にこういう横浜とか東京みたいな人の多いとこだと、いろんな人のエネルギーと混ざり合ってしまって、またエネルギーが落ちてしまう。あるいは精神的な意味で、まあ、いろんなカルマがあるからね、いろんなカルマによっていろんな人と接するうちにちょっと心が乱されたりする。で、やっぱり下がるんだね、気は。でもしっかりまた修行したり、あるいは心を思い直したり、あるいは日々念正智の修行をすることで、また気はガッと上がる。で、また下がると。

 これはね、一見無駄なことをやってるように見えるけども、実は非常に利益があります。なぜかというと、「あ、人間っていうのは多くの意識を持ってるんだ」ということがよくわかる。だから自分が次に下がった時も、「ああ、俺、なんか今どうでもいい感じになってるけど、違うな」と。「俺にはもっと実は崇高な意識があるな」というのが経験上わかるんだね。だからまたがんばれる。

 あるいは他人を見てもそうだね。他人を見て、よく人間って断定をするけど、ああこいつはだめだとか、ああこいつはもうこうだとか言うけども、いや、人間にはいろんな意識のパターンがあって、この人は修行したりいろんなことをして気が上がりさえすれば、この人だってもっと素晴らしい意識状態になるんだなと。自分とか他人のいろんな可能性がわかってくる。だからこの日本とか東京とか横浜で暮らすことのメリットってそういうところにある。逆に言うとね。

(U)あの、クンダリニーの覚醒っていうのはゼロか100かなんですか?

 そうだね。ただ覚醒って言葉はちょっと曖昧なんだね。チベットでクンダリニーの覚醒って言わないように、それは一つの独特な表現で、ゼロか百かなんだけど、そうだな、ゼロか100か110か120か150か200かとかは、つまりゼロか100かなんだけど、100の上の段階がいろいろある。だから覚醒か、覚醒していないかってその差っていうのは大きいんだけど、それはもう裏と表みたいなもんなんだけど、覚醒したといわれる段階にもいろいろあります。だから一概に言えないんだね。

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