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「心の逆転変」

◎心の逆転変

【本文】
『テー プラティプラサヴァヘーヤーハ スークシュマーハ

これらは、それが潜在、未発の微妙な状態で存在する間は、心の逆転変によって初めて除去することができる。』

 これもちょっと難しい感じだけど、実はそんなに難しい話じゃなくて、「潜在、未発の微妙な状態」っていうのは、簡単な表現をすると、われわれの煩悩、あるいはカルマっていうのがそんなにまだわれわれの現象としてあらわれてなくて、まだその――仏教的にいうと行だけどね。サンスカーラ。心の奥のデータとしてまだ眠ってる状態。でもそれは未来において出てくるでしょうねっていう状態。で、これはね、逆の言い方すると、それを例えば日々の戒律守ったりとか、ただ瞑想したりとかで落とすのは不可能なんだね。そのまだあらわれてない奥底に眠ってる微妙な状態の煩悩をどうやって滅尽するんだと。それがここに書かれてる「心の逆転変」っていうやつなんだね。
 これは具体的な修行法のことをいってるんじゃなくて、心の逆転変っていうのは、真我っていうか心の落下のプロセスとして、さっき言ったみたいに、まずは純粋な状態がありましたと。ここでいってる純粋っていうのは真我じゃなくて、心の認識力の元みたいなもの。これは純粋だったんだけど、純粋な状態から――じゃあちょっと仮の言い方をするとね、純粋な状態だった人が、一人の他人と会いました。その他人と喜びと苦しみを経験することによって一つ無明ができます。「あ、こういうことやられて私は嬉しいな」と。「もっとやりたいな」と。「でもこういう部分は私はちょっと嫌だな」と。「こういうのは避けたいな」と。一つ無明ができましたと。次の人と接しました。また「え、こういうのは私は嫌だな」と。「でもこういうのは大好きだな」と。
 まあこれは赤ちゃんを考えたらいいかもしれないね。赤ちゃんって本当は過去世からのけがれは持っているわけだけど、一応純粋だと仮定して、赤ちゃんが生まれたころっていうのは純粋に自分を表現したりすると。「わー」って、「楽しいな」と。でもだんだん不自由さに気づいてきます(笑)。ね。「わー」って言うだけではミルクもらえないとか(笑)。そこで、もらえないことに対する嫌な気持ちが出てくる。あるいは優しくしてもらったときの喜びがある。で、お母さんに「あのときの優しさをください」ってガーッて叫んでも、ちょうどお母さんが忙しくてあっち行ってたりすると、「何でこれがもらえないんだー」っていうとらわれが生じる。こういうことが日々、一分、一秒ごとにいろいろ重なって重なって重なって、無明の集積ができるわけです。これが逆転変じゃなくて転変なんだね。これをわれわれは遥かな過去からやってきてるんです。で、どんどんどんどん無明に巻き込まれてるんです。
 最初は一つ、二つの無明だったのが、もうわけ分かんなくなってる。で、どんどんどんどんどんどんどんどんこう、グワーッてなってきたのを――まあこれはこのあいだも言ったけど、ヴィヴェーカーナンダの言葉を使うと、エヴォリューションじゃなくてインヴォリューション。ワーッて展開していたものを、グーッて戻すんです、元に。これはちょっと別の表現をすれば過去に帰るといってもいい。ワーッってここまできちゃったものを、ウーッってここまで戻すんだね。原初の状態にどんどん戻っていく。だからこれが修行といってもいいんです。
 でもこのね、じゃあスタートしました。バーッてきました。戻ってきました。この位置は同じなんだよ。位置は同じなんだけど、スタート時と戻ってきたときは違うんです。何が違うのか。Rちゃん、何が違うと思いますか?

(R)……?

 まあ、もう悟ってるっていうことだね。どういうことかっていうと、ここに日本に人がいてね、例えばL君みたいな若者がいたと。L君はインドに憧れを持ったとしますよ。で、日本から船で中国に渡り、中国を歩いて旅をしたとするよ。中国を旅してって、ネパールを越えてインドに入りましたと。インドでいろんな経験をするうちに――まあ、よくそういう人いるわけだけど、私の友達にもよくいたけど、インドで二、三年ね、放浪して、「もう飽きた」という人がいるわけだけど。で、例えばそこで、「インドってそんなでもなかったな」と。まあこれは仮の話ね。仮の話として、日本が自分にとっては素晴らしいと気づいたとするよ。私にとっては日本こそが、もって生まれたカルマの地だし、日本が合ってると気づいた。で、そこで、また苦労して戻っていくわけです。まあ今は飛行機でパッと戻れるけど、昔だとしたら三蔵法師みたいに、本当に苦労した旅で、やっと苦労してインドに来たのに、また苦労して戻んなきゃならない。で、苦労していろんな困難を乗り越えて、中国を通ってやっと日本に帰ってきましたと。「はー」と。それが例えば二十年かかったとして、例えば、「二十年前の東京にいます」というのと、「二十年経って東京にいます」っていうのは、東京にいるっていうこと自体は変わってないわけですよ。じゃあ元に戻っただけじゃないですか。でも違うわけだね。「経験してきました」。それによって、「インドや中国のことがよく分かりました」と。そして、「私にはそれは必要ないということが分かりました」と。これが解脱する前と解脱した後の違いなんです。
 つまり、「私はいろんなこの世の幻影を経験して、その経験から脱却するっていうことによって、幻影が全く私に必要ないことが分かりました」と。これが帰った後と、帰る前の状態なんだね。この帰るプロセスを、「心の逆転変」っていってる。だからこの心の逆転変というのは別に、そういう修行法があるっていうよりは、修行そのもののことを表わしてるといってもいい。

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