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「称賛の仕方」

◎称賛の仕方

 はい。他に何かありますか?

(R)称賛するっていう話があったじゃないですか。あれって本人に言うんじゃなくても、例えば違う人とそういう話をするとか、そういうのもあるんですか? 

 ああ、それは――そうそう、シャーンティデーヴァの入菩提行論にもあったように、称賛は本人のいないところで行なえって書いてあるね。これは絶対そうだって意味じゃなくて、シャーンティデーヴァの説としてはね、本人のいないところで称賛をしなさいと。そして誰かの称賛をしてるときはそれに同意しなさいと。
 これ、なんで本人のいないところで称賛しなきゃいけないのかっていうと、やっぱり利害関係を含ませないためだと思うね。つまり、面と向かって称賛するのももちろんいいんだけど、下心が混じる場合があるよね。つまり自分はその人によく思ってもらいたいとか、あるいはそれによって何か利益を得たいとか。例えば営業なんかまさにそうじゃないですか。「いや社長!」とか言って(笑)、「あなた様のような社長には出会ったことがない」と。「本当もうお慕い申しております」と。――「ところでこの商品なんですが――」って感じだよね(笑)。だからそういう利害関係っていうのが、まあそこまでいかなくても人間関係においてもね、当然あると思うんだね。
 だから普通は、例えばその人の前では良いこと言って、陰では悪口言ってるっていうパターンも多いわけでしょ。じゃなくて、シャーンティデーヴァはそうじゃなくてその人のいないところでその称賛をしなさいという言い方をしてるね。でもそれは別にして、目の前で言ってもそれはそれでいいと思うよ。
 ――っていうかね、一番最初に大事なのは心の問題なんです。まず心の中で称賛するんです。口に出さなくてもいいです。心の中で、人と出会う度にいいところを探すんだね。「ああ、Yさん、こういういいところがあるな。」と。「ああ、Kさんこういういいところがあるな」と。あるいは一つ一つの動作の中でね、例えばHちゃんがパッとお茶の用意をしたら、「ああ、Hちゃん本当に機敏に徳を積もうと考えて素晴らしいな」とか、パッと誰かが誰かに対して優しい言葉をかけたとしたら、「ああ、私はああいうパッと優しい言葉をかけられないけれど、あの人は本当に心からそういうことができて素晴らしいな」とか、心の中でまずはやったらいい。別に言わなくてもいい。もちろん心からそう思って本当に、本心でね、言いたかったら言ってもいい、もちろん。でも最初は心で思う訓練だね。
 で、そういうことをやってるとだんだんだんだん――だから最初は無理やりでもいいんです。本心からそう思えないんだけど、でもこういうところがいいかなって思ったところを心の中で繰り返すだけでもいい。それによってだんだんだんだん自分の心っていうのがコントロールされて変わっていきます。
 いいですか。シャーンティデーヴァの話をもう一回すると、シャーンティデーヴァの言ってるのは、まず他人の称賛をするときは本人のいないときにしなさいと。で、誰かが他人の称賛をしているところに出会ったら同意して一緒に称賛しなさいと。で、自分が称賛されたときはそれはただ徳に対する称賛だと認識しなさいと。
 これはわかるよね。徳に対する称賛ってのは――まず阿修羅的な人っていうのは結構称賛を否定します。例えば「Yさん素晴らしいね」って言ったときに、「いや、そんなこと言わないでくださいよ。私は素晴らしくありません」って(笑)。これは駄目なんです。じゃなくて、素晴らしいねって言われたときに、「いやあ、そうでしょう」――これも駄目だと(笑)。

(一同笑)

 じゃなくて、例えばYさんが人に優しくして、「ああ、素晴らしいね」ってみんなが言ったときは、それはYさんとしては、この優しくするという行為、これが誉められているんだって思うんです。私が誉められてるんじゃないんです、この‘優しくする’という徳が誉められてる。だからそれは別に恥ずかしがる必要はまったくない(笑)。自分が誉められてるんじゃないんだから(笑)。それは自意識過剰でね――自分が恥ずかしがるのは(笑)。
 例えば自分が修行して、「ああ、あんなに修行するのは素晴らしいな」って誉められたら、その修行するっていう行為を誉められているんです。私自身が誉められてるんじゃない。そういうふうに思ったら慢心にも陥らないし、逆にちょっと阿修羅的な自己否定にも陥らない。これが称賛の仕方だね。
 もう一回まとめると、まず心の中で称賛しなさいと。で、もし本当に心から相手に言いたいんだったらそれはもちろん言ってもいいでしょうと。で、実践としてもし言う場合は、その人のいないところでその人の称賛をするほうがいいでしょうと。で、もちろん陰口とか言っちゃいけない。で、自分がもしその称賛をされる側に立ったとしたら、それを否定するのでもなく自分のことを考えて恥ずかしがるのでもなくて、それは徳そのものへの称賛として受け取ったらいい。これが称賛の修行だね。
 はい、じゃあ今日はこの辺で終わりにしましょう。お疲れ様でした。

(一同)ありがとうございました。

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