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「存在の認識」②

 あなたは自分を解放するために、
 輪廻に導く凝り固まった習慣的思考を否定しなくてはなりません。

 ダルマターから発生する純粋意識によって、それらに反撃し、
 このすべての存在の空性を確信しなければなりません。

 ――それからあなたは、顕現と空性の非二元性である、
 「二つの真理」によって意味されたことを知るでしょう。

 両極端のどちらか一方にとどまることを捨断するという中道に辿り着くことで、
 あなたはニルヴァーナにも輪廻にもとどまらず、
 空のように広がる世界で自由になるでしょう。

 これは衆生の存在性の、絶対的な絶対性、偽りのない真実、
 真の実在性、完全なる完全性です。

 顕現は、それ自身、善業と悪業とは無関係です。
 ――あなたが、存在していない何かの存在を信じる習慣的思考によって、架空の存在にとらわれたので、今、善と悪のカルマに支配されているのです。
 
 しかしあなたは、顕現のさまざまな現われを一つ一つ調べる必要はありません。
 ただわがままな傾向を持ったこの心を根絶すべきです。

 心は確かにそこにあります。
 しかし心には何もありません。

 心を捜しても、あなたは見つけられないでしょう。
 心を見ようとしても、あなたは見ることはできないでしょう。

 心には、色も形もありません。
 それは、実体あるもののように掴むことはできません。

 内側にも外側にもなく、
 生起することも消滅することもなく、

 部分でもなく、全体でもなく、
 明確な基礎でも、本質でもなく、

 思考の対象を越え、「これはそれである」と指摘されることのない、この心は、
 今まで観察されることはなかったし、
 今も観察されることはなく、
 これからも観察されることはないでしょう。

 よって、心で心を探さずに、
 ただあるがままにあってください。

 このようにして注意深く、智慧の修行をしていると、
 あなたの前に、あるものが現われます。

 それは、「ただ存在」というたった一つのきらめき。
 それは外側にもなければ、内側にもありません。

 探求されるものは、探求者自身であり
 それ自身は絶対に発見されることはなく、失望に至るでしょう。

 絶対に生起することはない純粋な真実は、
 心の本性であり、どこにも住せず、死滅することはなく、
 基盤や根元のない、想像できないほどの無始の過去から開かれた次元です。
 
 事物の多様性の出現の根拠としての、その継続的顕現、
 しかしそれは、「永遠に存在するもの」というわけでもありません。
 なぜならばそれは、実体も特性もないからです。

 それは「永遠に存在するもの」でないわけでもありません。
 なぜならば、心の本性は滅びることはないからです。

 それは言葉では言い表わせません。
 それらは永遠でもなければ非永遠でもなく、
 実在でもなければ非実在でもないからです。

 それは具体的なつかみどころがありません。
 なぜならば、「これはそれである」というようなことを設置できないものだからです。

 まさに始まりから純粋であった、その実在を知ってください。

 本質的であるその根本的な実在性は、二元性ではないので、
 善も悪も存在せず、受容も拒否もなく、期待も不安もなく、多様性も存在しないのです。

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