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「存在の認識」③

 言葉と概念によって、心がかき乱され、完全なる叡智が失われている間は、
 心は平安にならず、風のように揺れ動くしょう。

 明智と叡智が存在するとき、
 真実のヴィジョンがありのままに存在するでしょう。
 ――それは、否定と肯定、来ることと去ることに対して無関心にさせるでしょう。
 
 ここで、考え、言葉、見解に基づいたさまざまな哲学的な思考システムは
 全く意味をなしません。

 絶対的絶対性は、証明と非証明とは無関係です。

 ――それは周辺でも中心でもなく、カテゴリーもステージもありません。

 ――それは空のように純粋で、壊れることはなく、偏ることもありません。

 存在と非存在にカテゴライズする概念的知性によって吟味されたときから、
 それはゆがめられました。

 言葉で表現することのできないものが、
 どのようにして言葉で説明できるというのでしょうか?

 純粋なる心の本性は、あらゆる点で汚れがなく、
 虚像の汚れによって、見られたことはないのです。

 始まりから本質的に純粋な心の本性の中では、
 拒絶は全くなく、拒絶を援助することもなく、
 何も解放されることもなく、何も達成されることもありません。
 
 外側も内側もなく、
 理解することも理解されることもありません。

 それは、「これはこれである」というようにとらわれることもないので、
 あなたの煩悩に終止符を打ってください。

 それは、得ることも得られないこともないので、
 期待も不安も捨ててください。

 死ぬことも、他のどんなものにも変化することもない、存在の本質的な明智の上に、
 顕著な特質を持つ何かが、さまざまな条件により現われるかもしれません。

 この現われは、それ自身の現われの中で自由です。
 水とその波のように、それは、法身としての経験のリアリティの上に橋を架けるものです。

 それがどこかで見られたとき、それを見たものは、存在の本質的な明智を悟るでしょう。
 しかし探索によっては、それを見つけられないでしょう。
 それは、どの場所にも、どの方角にもないのです。

 求めるものは彼自身であるため、観察されず、定理は得られません。
 そこには創造者は存在せず、彼のために創られるものも存在しないのです。

 空のように汚れのない根源的な領域に入ったとき、
 あなたには、もはや帰る場所は存在しません。
 あなたは今、どこに行くつもりなのですか?
 あなたは、すべてが終わった地点に達したのです。
 ――そこには未来が来ることはありません。

 誰にも見られていないというわたしは一体どこにいるのでしょうか?

 もしあなたがこれを知っているのならば、
 あなたにはもはや他のものはすべて必要ありません。

 そして自由になった人々は、わたしのように、虚像性を通り抜けるでしょう。

 わたしには今、疑問はありません。
 ――心という地面と根は消滅しました。

 支えもなく、愛著もなく、確実性もなく、
 「これはそれである」という認識もありません。

 そこには、連続性、広大さ、包括性があります。
 このように理解し、わたしは歌います。

 ――わたくし、ティメー・ウーセル(太陽の汚れなき光線)は、
 到来と共に、これを指し示し、そして去っていきます。

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