yoga school kailas

菩薩の道(8)至高の誓願--不動の境地


菩薩の道(8)至高の誓願--不動の境地

8.至高の誓願の修行--不動の境地

 八番目の菩薩の修行は、至高の誓願の修行です。
 この菩薩の誓願は、どんな神々でも悪魔でも動じさせることができません。よって不動の境地と呼ばれます。
 ここにおいて、観音菩薩のエピソードを思い出します。

 観音菩薩(アヴァローキテーシュヴァラ)はその昔、「私は地獄から天に至るまで、輪廻に苦しむすべての衆生を救済しよう。そして、もしこの発願が少しでも揺らぐことがあったなら、ブッダや菩薩方が、私の身体を八つ裂きにしてくれますように」という誓いを立てました。
 そして観音菩薩は遥かな時の間、救済をし続け、まず、なんと地獄の住人をすべて救い、地獄を空っぽにしました。次にすべての餓鬼を救い、すべての動物を救い、すべての人間を救い、そしてすべての阿修羅を救いました。こうして、六道のうちの五道までの魂をすべて輪廻から救い、あとは天界を残すだけとなったとき、観音菩薩は少し一休みして、自分が救済してきた地獄から阿修羅に至る五つの世界を眺めてみました。
 すると、なんということでしょう、自分が救済し、空っぽにしたはずの、地獄から阿修羅に至るまでの世界が、また数え切れないほどの衆生でいっぱいになっていたのです!
 ちょっと解説すると、これにはいろいろな意味があります。まず、六道から救済されたとしても、完全な解脱・悟りを得たわけではありませんから、一時的に六道から解放されて色界などに至ったとしても、また無明と渇愛により六道に舞い戻る可能性もあります。また、仏典では、我々の住む宇宙のような世界が、他にも数え切れないほどあると説かれています。よってそういう他の宇宙から、我々の宇宙の輪廻界にやってくる魂もいます。 
 まあとにかく、ものすごい時をかけて、ものすごく苦労して五道の衆生を救ったと思ったら、またそれらの世界が衆生でいっぱいになっていた!--このとき、一瞬ですが、観音菩薩の心は、意気消沈し、誓願が少し揺らいでしまいました。
 そのとき、ブッダや菩薩や神々が現われ、最初に立てた誓いの通りに、観音菩薩の体を八つ裂きにしました!--シビアですね(笑)。
 体を八つ裂きにされながら、観音菩薩は、一瞬でも自分の誓願が揺らいで意気消沈したことを悔いました。そして今後は、どんなに大変でも、どんなに報われないことがあっても、どんなに時間がかかろうとも、この輪廻のすべての衆生を完全に救うのだ、それまでは決してこの誓願をゆるがせない、という決意を改めて誓いなおしたのです。 
 するとブッダや菩薩方は、その散り散りになった観音菩薩の体の破片をつなぎ合わせ、体を再生させました。しかし再生した観音菩薩の身体は、以前の身体とは違っていました。それは、11の顔と、1000の腕と、無数の目を持っていました。
 この無数の目は、宇宙のどんなところにいる魂の苦悩も決して見逃さない、という意味があります。そして1000の腕は、これは方便を表わすわけですが、様々な手段を使って、あらゆる世界のあらゆる魂を救済することを意味しています。
 そう、これがいわゆる千手観音なのです。

 このような、確定した、何があっても揺るがない救済の誓願。これを培うのが菩薩の八番目の修行であり、それによりその誓願が不動になった状態が、菩薩の第八段階、「不動」と呼ばれる段階です。
 これはリアルに考えると、ある意味途方もなく、気が遠くなりそうなことです。しかしこの菩薩は、それに喜びを見出します。

 私たちはもちろんまだ、この第八段階の菩薩の境地には至っていません。しかし以前の観音菩薩のような、誓願を持つことはできます。
 これはつまり、自分は高い悟りと解脱を得、救済者としての様々な智慧と力も身につけ、そしてすべての衆生を完全に救いたいという誓願です。
 すべての衆生を完全に救うということは、最後の最後まで、衆生に付き合うということを意味しています。解脱してもニルヴァーナに入ることなく、極楽浄土にも行くことなく、それら至福の世界に至るパスポートを捨てて、この泥臭い輪廻の中で延々と救済活動をし続けるのです。
 延々とといっても、それはもちろん10年とか100年とかいう話ではありません。この宇宙が何度も創造されては破壊される過程を、気が遠くなるほど繰り返す間、ずっとこの輪廻で救済をし続けるのです。
 そしてすべての魂を輪廻から救い、最後の最後の魂が輪廻から完全に救われたことを見届けたとき、やっと自分もニルヴァーナや浄土へ行こうと、このような偉大な勇者の発願なのです。
 
 私たちもかつての観音菩薩のように、途中で誓いが崩れるかもしれません。しかしそれでもいいのです。崩れるのは当たり前のことです。崩れたらまた、観音菩薩のように、何度も何度も誓いを立て直せばいいのです。 
 我々はまだ、壊れない不動の誓願の境地を得ているわけではありません。だから何度も誓願は崩れるでしょう。しかし崩れてもまた立ち上がるという不屈の精神を持つことはできます。それはブッダや神や真理への信、そして衆生への強い慈悲の心に支えられた不屈の精神です。 

 さて、こういった話を聞いて皆さんはどう思うでしょうか? 恐ろしい、と思う人もいるかもしれません。そんなことは自分はごめんだ、と思う人もいるかもしれません。あるいは、こういった話にあこがれを持つ人もいるかもしれません。
 すべての人がこのような道を歩かなければいけないとは言いませんが、一ついえるのは、これは最高の道です。そして少しでもこの道がいいなとか、憧れを持つ方がいらっしゃったら、ぜひこの道を進むことをお勧めします。すべての衆生が輪廻から救われるまでは、自分は解脱しても輪廻にとどまり続け、衆生の救済をし続けるという道です。
 まあしかし、安心してください。そのような発願をする勇者はこの宇宙に多くいますから、すべての衆生が輪廻から救済され、最後に自分が輪廻から抜け出るとき、そこにいるのはあなた一人ではないでしょう(笑)。みんなで手をつないで、最後にここから出て行きましょう(笑)。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする