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「善き心構えと回向」

◎善き心構えと回向

【本文】
二.始まりには善き心構えを持ち、終わりには回向の心を持つべきです。

 これはね、三つぐらいの意味がありますね。

 まず第一の意味は、朝起きたときと夜寝るとき。つまり始まりっていうのは朝起きたときね。朝起きたときに善き心構えを持つ。

 これはね、いろんなやり方はあるけども、詞章とかでもいいと思う。今日やったようなこういう詞章でもいいし。つまり、朝一発目。朝一発目って非常に大事なんです、やっぱりね。

 インドでね、チベットでもそうだけど、朝一番最初に起きたときに吉祥なもの――つまり縁起のいいもの。縁起のいいっていうのは、例えば神の絵であるとか、そういうのをまず見なさいっていう教えがあるんだね。

 で、ラーマクリシュナの召使だったラトゥっていう少年は、いつもラーマクリシュナのそばで寝てたから、朝起きるとパッとラーマクリシュナをまず見ると。そこで朝が始まるわけだけど、ある朝起きたらラーマクリシュナがいなかった。それでラトゥはこう目を閉じて(笑)、「どこ行ったんですか? 師よ!」と、ワーッて叫んで、で、ラーマクリシュナが「いや、ここにいるよ」って庭にいたんで、庭に行ってパッとこう見て一日が始まったっていう話があるけど(笑)、これだけ純粋だったら素晴らしいね。

 まあここに書いてあるのは「見る」とかじゃないけども、例えば視覚ももちろん大事です。つまり、朝起きてまず神の絵を見るとかも大事だね。

 あとは、そうじゃなくて詞章ね。何らかの詞章をまず唱える、朝起きたら。これはとても大事です。もちろんそれに心が乗っかってたらもっと素晴らしいよね。

 例えば今日読んだようなやつでもいいんだよ。このどれかでもいいので――例えばこの『バガヴァッド・ギーター』の詞章だったとしたらね、パッと「あ、朝だ」と思って、

「得ることと失うこと、快と不快、称賛と非難などの二元対立を越え、利得や安全に心煩わすことなく、常に真我にとどまる自己を確立せよ」

と。

 「ああ、そうだ」と。「わたしは今日も一日、このような二元的なことに惑わされずに常に真我――つまり自分の本性にしっかりと根付こう」と。「それを忘れないようにしよう」と。ね。

 あるいは朝、発菩提心の詞章を唱える。それによって、「そうだ」と。「わたしは今日も一日衆生の幸せを願って、人々が早く光り輝く悟りの世界に到達できるように頑張ろう」と。

 このようなことを朝一発目にしっかりと唱えたり、願ったりする。

 そして、終わりっていうのは一日の最後。回向っていうのは、これは回向の詞章でもいいし、考えるだけでもいいんだけど――つまり、今日一日の自分の修行や、あるいはいろんな間違ったこともしただろうけど、そうじゃなくて正しく生きれたこともあっただろうと。で、その功徳、あるいはその正しい生き方をしたというそのエネルギーが、自分に返ってくるんじゃなくて、すべての衆生の悟りのために役立ちますようにと。これを回向というわけですね。これを夜寝る前にでもやると。これが一つ。

◎修行の前後に

 で、二番目の意味としては、修行――つまりみなさんが例えば時間をとって修行するときがあるよね。会社から帰って来て、「じゃあ一時間くらい修行しようか」と。で、その最初と最後。つまり修行やる前に善き心構え――例えばだけどね、「さあ、わたしはこれから修行するけども、これは別に自分の安らぎのためにやってるわけではなくて、衆生のためにやるんだ!」と。「わたしが修行を進めて、苦悩を少しでも乗り越えることによって、それが縁ある人たちのためになるんだ。だからがんばろう!」ということを、まず修行の前に思う。

 例えばですよ、わたしから、「じゃああなた、家で一時間ムドラーやってください」っていわれてね、「あ、時間だ」と。「先生に言われたから、本当はやりたくないけどやるか……」とか(笑)、これじゃ駄目なわけです。ね。もう無理矢理でもいいから、一番最初に修行の前に、「よし! わたしは衆生のためにがんばるぞ!」と。「わたしがこれからやることっていうのは、わたしがこれによって自分の苦悩を乗り越えることで、みんなのためになるんだ!」って思いながら始める。

 そして終わった後は、さっきと同じ回向ね。「はい、修行時間終わりました」と。「さあ、今日のわたしの修行がみんなのためになりますように」って終わると。

◎すべての行ないの前後に

 はい、もう一つの三番目の意味としては、これはすべての行ない。すべての行ないっていうのは――つまり何でもいいわけだけど、例えば誰かと話をするとき、あるいはまあ仕事をする時でもいいよ。つまり一般的な日常のいろんな行ないでもいい。それをやる前に、「さあ、わたしはすべてを慈悲に照らし合わせて、この行動を行なおう」とかね。それはいろんなパターンがあるでしょう。あるいは「神の意思というのを忘れないようにしよう」とか、いろんな形でまず発願をするわけです。で、その仕事とかいろんなことを行なう。

 で、終わった後に、「さあ、これでもし積まれた功徳があるならば、衆生のもとにいきますように」と回向をするということですね。

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