yoga school kailas

「一日中、教えを学ぶ」

◎一日中、教えを学ぶ

【本文】
 知識の要を終日に渡って、さらに夜の初めから深夜にわたって暗誦し、眠りのときも無駄にしないように、その間に記憶するように眠るべきです。

 これは教学ですね。つまり日々しっかりと教えを学び――ここは非常に厳しいことをいっていて、「終日に渡って」――つまり一日中しっかりと教えを学びなさいと。で、「夜の初めから深夜にわたって」――つまりこれは完全に一日中ですね。昼間も夜もずっと教えをしっかり暗誦しなさいと。で、「眠りのときも無駄にしないように、その間に記憶するように眠るべきです」――つまり寝る前に暗誦して、記憶しようとしながら眠りなさいと。
 もともとお釈迦様の時代というのは、教えの学び方はすべて暗誦だったんだね。つまり本やノートは使わずに、自分の師匠やあるいは先輩が口で教えてくれたことを聞き逃さないようにして、それを頭の中で繰り返して暗記すると。
 チベット仏教でも入門したりすると、一番最初に基礎的な――基礎的なっていっても膨大にあるわけだけど――膨大なその経典を暗記させられるんです。もう丸暗記です。自分なりに解釈してとかじゃなくて、完全に丸暗記させるんだね。そういう伝統がある。つまり暗記イコール悟りではもちろん全くないんだが、少なくとも基礎になるんだね。つまり教えが入っていないと、教えではない昔から培ってきた悪い考えがいっぱい入っているから、それによって物事を考えるようになってしまうから間違える。ではなくて、徹底的に教えを入れてくださいと。
 ただここでいう暗記というのは、これはわたしの経験も含めていうと、テクニック的な――つまり受験勉強的な暗記じゃ駄目なんです。つまり試験が終わると忘れちゃうような暗記じゃ駄目なんです。ちょっとストレートにいうと、頭で覚えるんじゃなくて、心で覚えるような暗記なんです。マントラとかもそうでしょ。マントラをあまりに多く唱えると、もう心の中でそれがずーっと流れるようになる。例えば「オーム・マニ・パドメー・フーム……オーム・マニ・パドメー・フーム……」って別に集中しないでもそれが流れてくる。あと歌とかもそうだね。例えば好きなアーティストの歌を繰り返し繰り返し聴いていると、「あれ? あの歌詞何だっけ?」とか考えなくても、もう自然に流れてくる。バーッと。忘れるわけがない。――こういう暗記がいいんです。
 具体的にいうと、例えばこの経典を暗記しようとした場合ね、「ムニは、浄信、戒、教学、布施、慙、愧、智慧が……えーっと浄心が一番目だったな」とかね、あるいは自分なりに暗記の仕方ってあるよね。「浄信、戒、教学、布施、慙、愧、智慧……ちょっとなんか覚えにくいな……じょう、か、きょう、ふ、ざ、き、ちだ! じょう、か、きょう、ふ、ざ、き、ち……んー……」――こういうやり方は駄目なんです(笑)。これはテスト的な暗記の方法で、こんなことをやってもしょうがない。
 そうじゃなくて、テクニックを一切使わずにただ読むんです。ただひたすら読むんです。これをやってると、すっぽりと教えが入ってくる。それがスラーッて心の中を流れる。
 で、何度も言うけど、これは悟りではないよ。悟りではないけども、物事を思索したり分析するときの基礎になるんです。これは瞑想するとよく分かるんです。わたし、こういう経典をひたすら読んでたことがあって、あるときそういうのは忘れて、ある非常に深い瞑想に入った。深い瞑想に入ると、深く入れば入るほど、慣れてないと心って結構コントロール不能になるんだね。コントロール不能になるから、例えば浅いときにはいろいろ考えられてたことが、深くなればなるほど考えられなくなるんです、いろんなことが。考えられなくなるんだけど、ひたすら読んでいたフレーズは出てくるんです。「お釈迦様はこう言いました」とか、「この世は苦である」とか。もうフレーズがパンパンパンパンッて出てくるから、それをもとに考えられるんです。だからそれイコール悟りではないんだが、われわれが深い意識に入っていろんなことを悟るための土台にはなるんだね。
 だから徹底的に教えを学ぶ。それは受験勉強的な暗記ではなくて、心にもう完全に入ってしまうような学び方だね。だからここに書いてあることっていうのはすごく一見厳しいわけだけど、実際にね、日中ずーっと教学し、それから夜も教学し、夢の中でもそれを忘れないようにすると。それくらいに学びなさいということだね。
 ただ実際は修行ってやることがいろいろあるから、そればっかりやってても駄目なわけだけど、まあこういうやり方があってもいいかもしれない。つまり、「わたしはちょっと今月は教学に力を注ごう」といって、ひたすら教学すると。それはそれでいいかもしれない。ただわれわれはそれプラス武器としてヨーガという武器があるので――ヨーガとか呼吸法とかやりながら教学をやった方が効率はいいけどね。全然集中力が違うし。この間もちょっと言ったけど、集中力があるかないかとか、あるいは心がそれを求めているか求めていないかで、また教学の入り方も違ってくる。同じ時間やったとしてもね。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする