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「ヴァジュラダラより優れたグル」

◎ヴァジュラダラより優れたグル

【本文】
『「五次第」の中に、
「これは自然性の世尊であって、優れたイダムは一つであり、
 教えをよく与えるから、ヴァジュラの師はそれ(ヴァジュラダラ)より優れている。」
と説かれているように、グルは自分に対して功徳を与えてくださる田畑として、ヴァジュラダラよりも優れていると思いなさい。』

 はい、まずヴァジュラダラっていうのは、密教とかの中では、もう仏陀の中の仏陀なんだね。つまりヒンドゥー教でいう、例えばバクティ・ヨーガでいうとまさにクリシュナみたいな存在です。つまりいろんな神がいるけども、もうその中のベスト(笑)。もうすべての王みたいな存在なんだね。いろんな仏陀がいて、でもその中でも最もその原初的な存在。すべてのおおもとになるような存在がヴァジュラダラなんです。

 しかし、今目の前にいらっしゃるこの師匠は、それよりもさらに優れてるって考えるんだね。それがここの考え方です。そういう強烈な帰依の仕方をするんだね。

 つまり――例えばいろんな仏陀がいらっしゃると。例えば薬師如来、大日如来、阿弥陀如来、いろいろいらっしゃるが、それはバクティ・ヨーガでも説かれるように、単にそれは役割に応じて姿が変わっているだけであって、本質はみんな一緒なんだよっていう考えがある。だから自分の目の前に現われた師匠も同じように、あらゆる仏陀と変わりがないとまず考える。これが第一ね。

 次に、変わりがないのは分かったと。例えば西方浄土に阿弥陀様がいらっしゃると。で、あっちの世界には例えば薬師如来がいらっしゃると。しかし、その中でも具体的に今自分の目の前に、自分と同じ世界にいらっしゃって、自分にさまざまな祝福を与えてくださるのは、この目の前の自分の師匠だと。よって、自分の師匠というのはあらゆる仏陀と変わりないんだけども、具体的に今自分に恩恵を与えてくださってるから、少なくとも自分にとってはこの師匠っていうのは、ヴァジュラダラよりも優れてるんです。つまりどんな神、どんな仏陀よりも優れてるって考えるんだね。これは密教の考え方です。

 もちろんこれは、あまり密教を信じない、密教が好きではない仏教の人とかは、もちろんこういう考え方は否定します。だからこれはみなさんの自由に任せるけどね。どっちの考え方がいいと思うか。

 つまり一般的な考え方では、そういう考えはしないんだね。一般的な考えでは、もちろん最高なのは仏陀であって、自分の師というのはあくまでも自分の修行を助けてくれる、ちょっとサブ的な存在に過ぎない。つまり自分の師が仏陀だなんては思わない。一般的な修行ではね。自分の師は仏陀ではないけども、わたしよりも先を行ってるから、さまざまな指導を与えてくれる師なんだ――これがまあ一般的な修行の考え方。

 密教になってくるとそうじゃなくて、わたしの師こそがまさに仏陀だと。しかも、わたしに実際にさまざまな恩恵を与えてくれるから、少なくともわたしにとっては、どんな仏陀よりも優れた最高の仏陀だって考えるんだね。これが密教の師に対する考え方です。

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