「ミラレーパの十万歌」第一回(6)
はい。そして、
「不屈の忍耐が、グルへの最高の布施です。グルを喜ばせる最高の方法は、激しい瞑想修行に耐えることです!」
――もちろんこれは一般論的な話というよりも、まあこのときの特にミラレーパについてはこうだと。っていうのは――もちろんミラレーパっていうのは、ある意味この地球に現われた偉大な救済者の一人なわけだけど、この世を救済する使命がある人っていうのは、それぞれ違ったパターンがあります。違ったパターンでまあ人を救うわけだね。例えば、お釈迦様はまあまさに非常にストレートな感じで――つまりお釈迦様っていうのは、みんな知ってるか分かんないけど、すごいね、なんていうかな、布教家なんだね。布教家っていうのは、お釈迦様は初期のころ、最初――六十人ぐらいかな、六十人ぐらいの有望な若者に教えを説いて自分の弟子にした。で、その六十人ぐらいの弟子にもう徹底的に修行させて、まあ悟らせたわけだね。あっという間にその六十人が悟ってしまった。そしたらお釈迦様はそれで「ああ、良かったな」じゃなくて、あるいは「じゃあ、みんなでちょっと一緒に住んで修行しようか」とかそういうんでもなくて、その六十人に対して、「さあ、行け!」と。「散れ!」と(笑)。「インド中に散らばれ」と。で、「人々に教えを説け」って言ったんだね。
つまりお釈迦様の人生っていうのは、まさにもうインド中をお釈迦様自信も歩き回って、もう説法しまくる。徹底的に人々に教えを説きまくる人生だったんだね。こういうタイプの救済者もいる。
あるいはミラレーパの弟子のガンポパっていう人がいるんですけども、このガンポパっていうのはすごくこう、なんていうかな、社会的にも能力があって、まあもちろん修行においても非常に能力があり、頭も良くて。ミラレーパっていうのはどっちかっていうと、そうだな、ラーマクリシュナとかみたいなタイプで、あまり学問はしない。ほんとにもう直接的に悟り得たものを、あまりこだわらない言葉で説いてったりとか、あるいは一見なんかちょっと狂ってるようにも見える。いつも神やブッダの世界に酔ってるような感じの聖者だね。でもガンポパっていうのはそうじゃなくて非常に――まあだからミラレーパとガンポパの関係っていうのは、ラーマクリシュナとヴィヴェーカーナンダの関係に非常に似てるね(笑)。ラーマクリシュナもちょっと狂ったような聖者だったんだけど、ヴィヴェーカーナンダは非常に理性的で、社会的にもみんなから尊敬されるような人だった。同じようにミラレーパもちょっと狂ったような感じの聖者だったんだけど、ガンポパは社会的にも非常に尊敬され、で、非常に理性的・合理的に物事を進めていくタイプの修行者、聖者だったんだね。
で、ガンポパはそのミラレーパの――ミラレーパっていうのは、もうほとんど何の計画もなく放浪しながら教えを説いてっただけだったんだけど、ガンポパが徹底的にその教えをまずまとめ、そして教団をつくったんだね。つまりもうシステムとして、まあそれがカギュー派になるんですが、チベット密教のカギュー派っていう教団のシステムを完全に確立した。で、それでそこからバーッて広がって行くわけだけど、それがまあガンポパの使命だった。
じゃあミラレーパの使命は何だったのかというと、「瞑想」だったんです。つまりミラレーパがやることは、寺をつくることでもなく、教えをまとめることでもなく、ひたすら瞑想することだったんだね。それが師であるマルパからの指示で、で、それが衆生の救済につながるんだっていうことだったんだね。なんで瞑想するだけで救済につながるのかっていうのは、なんていうかな、表面的にはとても分かりづらいんだけど、まあその一つはもちろん、ミラレーパの中にはすごい菩提心がある。人々を救いたいっていう気持ちがある。でも人々を救いたいと思って一生懸命布教に走るんじゃなくて、師匠から与えられたのは、「おまえは人々を救うために瞑想しろ」っていう指示だったんです。で、その瞑想の力によって人々に良いエネルギーを与えるとか、この世界を瞑想によって変えていくとか、っていうのは一つね。
で、もう一つは、ちょっと長い目で見ると、まさにミラレーパは今、このね、現代でもわれわれがこのように勉強してるように、のちの人々の最大の見本になったんです。ミラレーパっていうのはマルパと全く違って――マルパっていうのは、まあちょっと変な言い方すると、マルパっていうのはほんとにもうすごい大聖者だったんだね。大聖者だったんだけど、ちょっと真似しちゃいけない大聖者だった。ね(笑)。っていうのは、マルパっていうのは、大聖者だったから、ある意味ちょっとあんまり、なんていうかな、この世のことっていうのはどうでも良かった。どうでもいいから、大きな屋敷に住んで、で、奥さんだけじゃなくて愛人みたいな――まあ愛人っていうか、昔のチベットだから、何人も奥さんがいるっていう感じだね。何人も奥さんがいて、子供もいっぱいいて、で、毎日ご馳走を食べて酒も飲んで、普通で見たらただのお金持ちのちょっと煩悩的な人にしか見えないんだけど、そのような生活を送りながら完全な悟りを得ていたんです。だからちょっとこれは桁外れのすごい人だったんだけど、見本にはならない(笑)。例えば、「あ、おれもマルパのようになろう」とか思ってそういう生活を送ったら、全然修行進みません(笑)、普通は(笑)。だからミラレーパっていうのはまさに見本だったんだね。
ミラレーパの生活っていうのは、さっきも言ったように、一切にこだわらない。服もどうでもいいし食べ物もどうでもいいし、ただ悟りだけを求めて生きるんですよと。ひたすら瞑想すると。ひたすら自分のけがれを浄化すると。で、それはもうほんとに後の人の心にすごく見本として残った。まあそういうのもあったかもしれない。
もっといろんな深い意味もあったのかもしれないけど、師匠マルパからミラレーパにその与えられた指示はね――マルパの一番弟子はミラレーパだったんだけど、何人かの別の高弟もいたんです。で、その人たちにはまた別の指示を与えてるんだね。例えばあるその高弟には、「おまえは説法しろ」と言ってるんです。全く逆パターンだね。つまり、「おまえは山に篭ったりするんじゃなくて、人々のところに行って多くの説法をしなさい」と。「それがおまえの救済の方法だ」と。で、ミラレーパに関しては、「おまえはひたすら瞑想しろ」と。「それが衆生のためになる」と。だからまあ、それがミラレーパの使命だったと言ってもいい。だからここで瞑想って出てくるんだね。
ただまあもちろん一般的に言っても、もちろんわれわれがひたすら瞑想をし、自分の悟りを深めること、これは師匠を喜ばせる方法ですよということは言える。あるいは不屈の忍耐がグルへの最高の布施だっていうのは言えますよと。はい。
で、ここで言ってることっていうのは、だいたい分かると思うけども、例えば布施とか奉仕とか言った場合、普通はね、例えば、師匠に食べ物を持ってきました。お金を持ってきました。あるいは師匠の身の回りのいろんな世話をすると。あるいはいろんな奉仕をすると。これはもちろん布施とか奉仕だよね。これはこれでもちろん素晴らしい。しかしほんとのほんとの最高の布施は、その弟子自体が全力で修行して修行を進めることだと。あるいはその人生をその教えとか修行とかあるいは人を救うことに捧げることだと。つまり形上の「あ、ちょっとこれ持ってきました」っていう布施。これはもちろんそれはそれでいいんだけど、あの最高の布施はそういうことではなくて、もう自分、自分の人生をあるいは自分のエゴを投げ出して、その修行とか救済とかに捧げることなんだっていうことだね、ここで言いたいのは。
そして「死と病を愛することは、悪業の清算のための祝福です」っていうのは、これはまあ分かりますね。死と病だけではなくて、さまざまなこの人生にやってくる苦しみ、これはわたしの悪業を精算してくれる喜ばしいことだと。よってそれを愛するっていうことだね。
はい。ここまで何か特に質問とかあるかな? はい。まあここまでが前半ね。つまり師匠を思って師匠のヴィジョンと会話を交わす部分。で、次からまた全然違うパートに入ります。