「ベースの修行」
◎ベースの修行
【本文】
チャンダーリーの火の修行によって、覚醒した生命力が中央気道に入り、とどまり、溶け込むというプロセスによく熟達したならば、それによってボーディチッタ(精液)を漏らすことなくとどめることができるようになる。そして四つの歓喜を経験し、サハジャの歓喜と空の智慧を混ぜ合わせることによって、
①覚醒時に幻身を観想すること
②幻身によって光を観想すること
③睡眠の光をとらえること
④夢の幻を維持すること
などが可能になるので、これらの修行のベースはチャンダーリーの火の修行であるということができる。
また、夢のヨーガを進めることで、バルドのヨーガの修行も進んでいくので、バルドのヨーガのベースもチャンダーリーの火の修行であるということができる。
また、転移(ポワ)とトンジュクの二つも、覚醒した生命力を中央気道に流入させることができるようにならないと始まらないので、これもやはりチャンダーリーの火の修行がベースになるのである。
はい、まず「覚醒した生命力」――これはヨーガ的にいうとクンダリニーといってもいいんだけど、覚醒した生命エネルギーが、さっき言ったように中央の気道に入り、とどまり、そこに溶け込むというプロスによく熟達したならば、まず精液を漏らすことなくとどめることができるようになる。
これはね、前から何回か言ってるけども、これは完全に物理的なシステムです。これは、あまりここら辺を研究っていうか、解明してる人はいないんだけど、わたしの研究によると(笑)――これはね、この間出したクンダリニー・ヨーガの本にも書いてあるかもしれないけど――まずね、男性の精液――女性の場合も性エネルギーなんだけど、女性の場合はちょっと分かりにくいから、男性を例にとるけども――男性は非常に分かりやすいんです、プロセスが。男性の精子っていうのは、われわれの生命エネルギーの雑なあらわれです。つまり、われわれが内側に持っている非常に微細な生命力みたいなのがあるんだけど、それが一番粗雑にあらわれたのが精子、あるいは精液なんです。
で、このわれわれの持ってる生命エネルギーっていうのは、歓喜の塊なんです。つまり、エクスタシーの塊なんだね。で、本当はこのエクスタシーの塊を使って、高いものすごい喜びを味わえるんだけど、普通の人はそのようなシステムができていない。そのようなシステムができていないから、この生命エネルギーが行き場を失うんだね。例えばNさんの生命エネルギーがあるとして――「え? N、お前まだチャクラとか目覚めてないの(笑)? じゃあこのエネルギーはどうしたらいいんだー! うわーっ!」――で、精子になるんです(笑)。で、しょうがないから射精とかでエクスタシーを感じるんだね。
でもこの射精とかのエクスタシーは、非常にレベルが低いんです。つまりもったいない。一つはレベルが低いっていうこと。つまり、もっともっと素晴らしい歓喜を経験できるのに、たかだか射精とかのエクスタシーしか経験できない。で、もう一つは漏れるっていうことです。つまり修行におけるエクスタシーには漏れはありません。ずーっと気持ちいいい。でも射精とか性的な喜びっていうのは出しちゃえば終わりだから(笑)。ね。出すことによって終わってしまう。非常にもったいないんだね。でもそうするしかない。なぜかというと、溜まったエネルギーをもうどこに持って行けばいいか分からなくなっちゃってるから。だからもう下から出すしかないと。
だからこれは非常に――今の話聞いて分かると思うけど――非常にレベルの低い行為なんだね、本当は。性的な「漏らす」っていうのはね。
これはもちろん女性も同じです。でも女性の場合、非常に分かりにくい。だから男性の場合を例にとるけどね。
はい、そして、このようなトゥモの――トゥモっていうんですね、このチャンダーリーの火の修行を別名トゥモっていうんですが――トゥモの修行、あるいはクンダリニー・ヨーガの修行をしてると、みなさんはもう分かると思うけど、例えばここでやってるムドラーとかね、やってると体がガーッて熱くなるよね。で、その熱っていうのは、ここでも書いてるように、この丹田の辺りをまず中心に出てくるんだね。へその下の辺りからガーッて熱が出ます。
はい、そして、ちょっと下品な話になるけども、「男性の睾丸っていうのはなぜ外に出てるのか?」Nさん知ってますか?
(N)冷やすためとかですか?
そうそう、冷やすため。つまり精子は熱に弱いんです。つまり熱で死んでしまうんだね。で、体の中に入れてると、ちょっと駄目になっちゃうから、冷やすために外に出してる。しかしムドラーとかあるいはこのチャンダーリーの火の修行をやると、体中、特にこの下腹部に強烈な熱が発生します。ガーッて発生して、それで精子が死ぬんです。
死んだ精子はどうなりますか? 死んだからってそのエネルギー自体が――つまり精子っていう形じゃなくなったけど、エネルギー自体は残ってる。それはいったん体に再吸収されます。再吸収されて、でもその人のシステムがまだ変わってなければ、また精子になります。だからあまり変わらない。でもその人の変換システムができてると、いわゆる「昇華」されるんだね。つまり、グーッて吸収されたエネルギーが、今度は別のクンダリニーとか、あるいは甘露と呼ばれる気持のいいエネルギーに変わって、体中に巡るんです。これがここでいってることだね。「精液を漏らすことなくとどめることができる」と。
だからこれもいつも言うけども、みんなはどうか分からないけども、特に男性、特に若い男性っていうのは昔からね、仏教とかヨーガの修行に本格的に入ると禁欲しなきゃいけないから、禁欲でよく苦しむっていう話がある。でも本当にこのシステムができてたら、全く禁欲には苦しみません。つまり性欲が出なくなります。コントロールはできるよ。コントロールして出そうと思えば出せるけど、このシステムが動いてる間は性欲が出ません。
つまりなぜ性欲が出るかっていうと、精子が溜まってきて、それを放出したいっていうのがあるわけだね。じゃなくて、その精子が吸収され、もうちょっとレベルの高い歓喜として体を回るようになるから、別に悩まされなくなる。
わたしの体験でもそうだけど、わたしは中学生くらいから修行始めてるから――もちろん最初のころはね、あんまり禁欲とか当然考えてなかった。でもいろいろ研究してたら、「あ、やっぱり、特にクンダリニー・ヨーガとかやるには、しっかり性的な禁欲はした方がいいんだ」と思って、思ったんだけど、最初はやっぱりなかなか性欲に負けてしまう。でもあるときからバタッと大丈夫になった。つまりそれは我慢とかじゃなくて、システムが完全に変わっちゃうんだね、体のね。だからといって元気がないわけじゃないよ。逆にそのエネルギーが体に満ち溢れてるから、超元気になります。
もちろん段階的にはね、今言った「エネルギーが満ち溢れてる」、でもまだ昇華されてないから、逆に性欲に悩まされる場合があります。
そうだな、段階的にはこういう段階があります。まず最悪――最悪の段階はですよ、エネルギーはないけど性欲は強い。これは最悪です。エネルギーがないのに性欲が強い。つまりこれは、生命力もないし――じゃあなんでエネルギーがないのに性欲が強いかっていうと、それはカルマであったり、習性であったりするわけだね。つまりその人のカルマとか、あるいは心の習性が、そういう低レベルの喜びを求める習性が非常に強いと。これは最悪の段階だね。
ただ現代の多くの若者、あるいは若者だけじゃないかもしれないけど――多くの人はこの状態に陥っています。本質的に生命力が足りないんだけど、習慣とかあるいは煩悩によって――つまり純粋な性欲じゃないんだね。ただ習性からくる煩悩っていうかな。食欲とかも同じだけどね。本当に生命力が満ち溢れてくると、すごくお腹が減ってくるときがあるんだけど、そういう状態じゃないのに、習性でいつも食べちゃうと。これは最悪ですね。
で、次に、生命力がない、でもあまり性欲もないっていう段階がある。これはレベルは低いけど、まあまだましな段階。
次に、非常に生命力に満ち溢れ、そして性欲に悩まされる場合があります。これは修行者は多分一度は通過します。つまり、ガーッて生命力が溢れてきた。で、まだその性エネルギーを昇華させるシステムができないときっていうのは、すごく性欲に悩まされる。まあ人によっては性欲よりも食欲の方が強いかもしれないけど、そういうものに悩まされる。
で、そこを超えると、ものすごい生命力いっぱいなんだけど、全く性欲出ませんと。食欲も大丈夫ですと。ただ体が非常に気持ちいいですと。こういう状態になるんだね。これが昇華された段階です。
はい。そして、四つの歓喜を経験し云々ってありますが、これはいろいろ書いてあるけど、ここが言いたいことっていうのは、とにかくさっき上の方で挙げた、六ヨーガの六つのプロセスの中で、結局ベースはすべて、一番目のチャンダーリーの火ですよと。つまり結局この六ヨーガっていうのは、言い換えるとチャンダーリーの火のヨーガであるといってもいいんだね。で、それ以外のものっていうのは、チャンダーリーの火のヨーガから派生する、ちょっと付随的なものって考えてもいい。結局はこのチャンダーリーのヨーガなんですね。つまりクンダリニー・ヨーガといってもいいけども、生命力を燃やして体中を回していったり、あるいは甘露を落としたりするヨーガ、これがベースであり、他のものっていうのはその派生ですよっていうことですね。
はい、ここまで何か質問等ありますか?
あの、多分こういう教えを学べるところは、日本中でほとんどないと思います(笑)。ここでの普段の勉強会の内容も結構コアな内容が多いけど(笑)、今日の内容は極めてコアな内容だね(笑)。これはもちろん普通のヨーガ教室でもこんなことは教えないし、仏教のそういう勉強会とかでも、多分こういうのはなかなか聴ける話ではないね。だからこれは貴重な勉強会だと思います(笑)。
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