yoga school kailas

「バクティ」第一回(7)

(Y)お葬式って、要はどういうことなんですか?

 あ、お葬式?

(Y)【聞き取り不能】

 お葬式はね、つまり死んだ人がまだ転生してない場合ね――まあ、死んだ人がどれくらいで転生するかっていうのは、実際にはケースバイケースなんだけど。仏教論では四十九日以内というわけですけども――まだ転生していない場合は、これは本当にケースバイケースなんですが、一般論として言うと、だいたいまだ肉体または肉体の周りに霊魂というか意識がまだある。あるいはもう焼いちゃった場合も、だいたい観念があるからその――まあ骨が残っている場合ね、骨の周りにそれがある。意識がある。で、これは可能ならばだけども、本当は一番いいのは、どう祈ってあげればいいじゃなくて、本当は一番いいのは――つまりチベット人がやるように、日本人だから日本語でね、教えを読んであげる。あるいはマントラを唱えてあげる。これが一番いいです。で、本当は一番いいのはちゃんと声に出すのがいいんですけども、お葬式とかでそれができない場合はもちろん心の中でもいい。つまり念じてね、その人を念じてマントラを唱えたり聖典を読んであげたりとか。あるいはね、別に普通に語りかけるでもいい。つまりその、ここでいう語りかけは実際にバルドで死後の世界で浮遊している存在への語りかけなので――それが『チベット死者の書』とかそういうのに書かれているわけですけどね。「さあお前、今楽しそうな世俗的なヴィジョンが見えてきたと思うけども、そっちに行っちゃいけない」と。「じゃなくて上方に光り輝く赤い阿弥陀如来の光に飛び込め!」とかね。そういうふうにやるわけだけど。まあそこまでは多分できないんで――そうじゃなくて一般論でいいので、さあ――例えばその人が生前に何か信仰があった場合はね、その信仰に――例えばその人がもし例えば浄土宗でね、阿弥陀如来を信仰していたとしたら――「さあ、阿弥陀様だけを思いなさい」と。「阿弥陀様だけを思いなさい」と。「もうあなたは今よく分かっていないだろうけども、重要な魂の岐路にいます」と。「だから一切の欲望や怒りや煩悩を捨てて、阿弥陀様だけを思いなさい」と。ね。あるいは、「衆生への愛だけを思いなさい」と。「いろいろ生きているうちはあっただろうけども、そんなことはもうどうでもいい」と。「ただひたすらみんなの幸福を願いなさい」とかね。もう自分の――何でもいいです、本当に。つまり、もちろんそれがどれだけ影響与えられるかは別ですけども、少しは手助けになるかもしれない。
 つまりリアルに言うと――「うわー!」ってバルドで苦しんでて、「うわー!」っていろんな気持ち悪いグロテスクなヴィジョンとか、あるいは逆に煩悩的なヴィジョンで「うわー!」ってなっているところに、例えばウッて念じて言ってあげたら――小さい声かもしれないけどね――「阿弥陀様を思いなさい」(笑)。「阿弥陀様を思いなさい」ってちょっと聞こえてくるかもしれない(笑)。で、その人がさっき生前に信仰してたらと言ったのは、生前にもし「阿弥陀様!」と思ってたとしたら――思ってなかったらそれは弱いけども、思ってたとしたら、ちょっとよみがえるかもしれないよね。「ああ、アミダサマ。えっ? アミダサマって何だっけ?」と。これね、ほんと「何だっけ?」って感じなんです、最初は。何でかっていうと、深い潜在意識だから。あまり頭が働かないんだね。「ああ、アミダサマ? アミダ? あみだ? なんだ? あみだ?……ああ、南無阿弥陀仏!」ってなるかもしれない(笑)。

 
(一同笑)

 例えばだけどね(笑)。「ああ、そうだ」と。ね。「わたしは生きている間、阿弥陀如来のことを信じて一生懸命祈ってたはずなのに、今は全部忘れちゃっている」と。「そうだ、阿弥陀如来だ!」ってなって、まあ阿弥陀浄土行けるか分かんないけど、少しはその人のカルマのちょっとはいい方に転化できるかもしれない。だからこれがいいね。
 だから今のは、ちょっとまとめると三つ――一つは、マントラを唱える。マントラ自体は言葉の影響というよりはヴァイブレーションね、マントラがもともと持っている良い音のバイブレーションの影響で、そのアストラルにいる死者の魂に与えられるかもしれない。
 で、もう一つは、聖典を読む。これはもちろん経典の内容も素晴らしいし、あとは経典の持つ力っていうかな、聖なる言葉によって影響を与える。
 で、三つ目は、もうちょっとリアルに心を込めて、おそらく死者が今バルドで迷っているんだろうなっていう前提のもとに、ぐっと愛を持って励ましてあげる。「さあ、そっち行っちゃ駄目だよ」と。「絶対煩悩とか持っちゃ駄目だよ」と。絶対――まあ例えば何度も言うけども、その人の生前――まあその人がもし生前何も修行とか信仰がなかったとしたら、それはもう一般的でいいんですけど、一般的に神とかでいいんだけど。「ただ神を願いなさい」と。あるいは「みんなの幸福だけを願いなさい」とかね。そういうふうに言ってあげるのがいいと思うね。
 はい。もしくはね、もうひとつパターンとしては、至高者にお祈りしてもいいです。つまり「神よ」と。「彼をお導きください」と。相手によっていろいろあるだろうけど――「彼は本当に生きている間どうしようもない感じでしたが、でもいいところもあったんです」と。ね(笑)。で、わたしの功徳は――ここで回向してもいいです。「わたしが修行してきた功徳を捧げますから、どうか彼を少しでも高い世界――できれば真理とめぐり合わせてください」というふうに祈ってもいいね。

(Y)四十九日を過ぎちゃって……【聞き取り不能】

 過ぎちゃってからでもいいけども、リアルにいうと、四十九日っていうのは絶対じゃないんだけど――つまり転生しちゃうと――みんな分かると思うけどさ、転生しちゃったらもう固定されちゃうから。例えば猫になっちゃったらさ、猫である状態に固定されてるから、この猫が死なない限りは次のチャンスはないわけですよね。でも、それでもわれわれが祈りを込めたりとか、神に祈ったりしたら、当然その魂のカルマに影響を与えられる。影響を与えられるけども、大きな影響はないよね。だから逆にいうと、死後のバルドはチャンスなんです。チャンスっていうのは、どうにでもできるから。まだ未定状態。次の就職先未定みたいな感じだね(笑)。次の赴任先は未定な、どっちでも行けますよ、な状態だから、だから強く祈ってあげるといいんだね。

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