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☆要約・ラーマクリシュナの生涯(25)③

 
◎母の死

 サーラダーデーヴィーが病気で故郷に帰った後、ラーマクリシュナの母親のチャンドラマニ・デーヴィーが85歳で亡くなった。死の数年前から彼女は、老齢のために頭がぼけ始めていた。
 ドッキネッショルの寺院の近くにある黄麻工場では、毎日、昼の小休止の時間の終わりを告げる汽笛が鳴ったが、彼女はこの音を、ヴァイクンタ(ヴィシュヌ神の浄土)の法螺貝の響きであると思い込んでしまった。そのため彼女は、その汽笛の音が鳴るまでは、決して食事を摂ろうとはしなかった。食べてくれと言われると、
「まだラクシュミーとナーラーヤナに差し上げていないでしょう。ヴァイクンタの法螺貝がまだ鳴りません。その前にご飯を食べることなどができますか」
と言うのだった。

 日曜日は工場が休みで汽笛が鳴らないので、ラーマクリシュナとフリドエは、彼女に食事をさせるために様々な工夫をしなければならなかった。

 ある日フリダイは、キセルに息を吹き込んで高い音を出し、彼女にこう言った。

『ほら、おばあさん。天の法螺貝の音が聞こえませんか?
 さあ、ごはんをお食べください。』

 しかし彼女は笑ってこう言った。

『いいえ、あなたがキセルで音を出したのよ。』

 そしてみなが笑ったのだった。

 母チャンドラマニ・デーヴィーが亡くなったとき、出家の誓いをしたラーマクリシュナは母の葬儀を行うことを禁ぜられていたので、兄の息子であるラムラルがそれをおこなった。
 ラーマクリシュナは、出家者に向けて定められた聖典の決まりを守り、母の死に関するあらゆる儀式にかかわらず、喪に服することもなかった。
 しかしあるとき彼の心に、それによって息子としての義務を怠ったのではないかという思いが生じ、タルパナ(死者に水を捧げる儀式)をおこなおうとした。しかし両手で水をすくってそれを捧げようとするやいなや、霊的状態がやってきて指の感覚がなくなり、いくら努力をしてみても指の一本一本が勝手に離れていき、水は全部流れ落ちてしまうのだった。
 後にこの話を聞いたあるパンディットは、それは一切の義務を超えた境地に達した人に見られる現象であると言った。霊性の進歩と共に、修行者は、聖典が命ずる儀式などが自然にできなくなるような境地に達する。その場合には、それらができなくても罪にはならないのだ。

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