◎真中の気道
◎真中の気道
はい。そしてチベット仏教ではあまり前の気道ってのは使わずに、この真中の気道を使います。どーんと真中にある気道があるんだね。これは、ここら辺までとか、あるいは性器までいってるとかいろんな説がありますが。ヨーガにおいてはまず背中を上げて、あと下りる時にどこを下りるかっていうのはちょっと曖昧にされてる。チベット仏教では背中もあんまり使わなくて、もう真中だけ使うんです。真中を気を上げたり下げたりする。仙道ではさっき言ったようにまずは後ろと前をぐるぐる回して、で、それがだいぶ修行が進んできたら今度は真中を使う。ちょっと、だから体系によってやり方が違うんですが、まずシステムとしてはまず、背中の三つを上げる。これが一番オーソドックスでいいんじゃないかと思います。
次に、前を甘露が下りて来るのか真中を下りて来るのかについては、これはね、人それぞれだね。自然にそれが生じるままにするのがいいと思う。たとえば皆さんが修行を進めて、甘露が頭に発生したと。それがなんか体の前の方をばーっと気持ちよく下りて来る。それはまあ、そういう道がその人にとってはやりやすいだろうから、そのままにすればいい。人によっては体の真中を下りて来る。その人はその道が合っているんだと。ね。つまりチベット仏教的な経験が強い人は真中を行くだろうし、仙道的な経験が多い人は体の前を行くでしょう。最初はね。まあ、最後には必ずこの真中に入るんだけど。
はい、こういう感じでエネルギーの流れが進んでいきます。つまり下からグーッと上がったエネルギーが頭に流入してアムリタが発生し、アムリタが体の前もしくは真中をグーッと下りて来る。
そしてこの過程の中でいろんなことが起きます。
まず、そうだな、この過程の中で今主要な気道だけ説明したけど、これを進める中でその他の様々な気道もどんどん通ってきます。もちろんそれにはね、単純にムドラーやったりすればいいって問題じゃなくて、日常生活のいろんなことも含めて修行を続けることで、気道が通ってくる。
修行っていうのはね、すごく難しいっていうか、多角的に捉えなきゃいけないんだね。
クンダリニー・ヨーガっていうのは結局、修行のあらゆる要素を気の流れで解明しようとしているわけだね。つまり何を言いたいかっていうと、たとえば皆さんが修行を進めて、日常生活で、なんていうかな、いろんな嫌なことが起きて、しかし心を成熟させて、そういうのにとらわれなくなったと。ね。これで一つ心が成熟しましたね。で、これはイコール気道が広がったっていうことと同じことなんです。
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