yoga school kailas

◎死ぬ前に

【本文】
『肉体を脱ぎ捨てる前に、愛欲や怒りの衝動を抑えることのできた人は、
どの世界でも永遠に心穏やかに過ごせる幸福な人である。』

 はい。あのね、この一節って私――この一節を読むとミラレーパのあることばを思い出すんです。ミラレーパのどういうことばかというと、ミラレーパがマルパの元を離れて、故郷に帰ってくるんだけど、故郷に帰ってきたら、もうお母さんは死んでて、で、家はぼろぼろになってて、で、妹は放浪っていうか乞食になって、放浪の旅に出てたと。で、ミラレーパはそこで全ての無常性を悟って、もう一切、完全に悟るまでは、私は現世に関わらないっていう誓いを立てて、で、山にこもって修行するわけだね。
 で、妹がその噂を聞きつけて、ミラレーパを訪ねてやって来るんだね。で、妹はミラレーパに現世に帰ってくれって言うわけですね。そんなこと、そんな修行して何になるんだと。あなたはもっと現実的な努力をしてね、この世で多くの金を稼いでね、うまくやってくれって言うんだけど、ミラレーパはそれに対して、いや、そうじゃないんだと。修行し、悟る以外に、われわれの本当の幸福はないんだっていうことを説くわけだけど。
 その中で言ったミラレーパの一言っていうのが、「人はいずれにしろ、どんな富やね、快楽を蓄えても、死のときに全てを捨てなければいけない。しかし、生きているうちに捨てることができるなら、完全な幸福を得るだろう」と。これはミラレーパのことばだね。これはだから、ここに書いてあることにすごく似てるね。
 もともとどんな人だって死とともに全てを捨てなきゃいけない。しかし、今生きてて、一時的にだが、何か自分の目の前にそういったものがあるように見えるとき、思えるときに、全てのとらわれを捨てなさいと。それができたならば、われわれはこの現世との絆が切れる。輪廻とか、あるいは生まれるとか死ぬとかいうことを超えて、悟りの境地に達するんだよと。
 だからさっき言ってることと同じだけどね。
 そうじゃなくて、この世において、この世の一時的な幸福っていうのを追い求めて生きている人っていうのは、どんな人だって、死のときに全てを失わなければいけない。そしたら、死とともに、またわれわれの魂は、その「失った」という悲しみによって、その失ったものを追い求めます。それによって生まれ変わるんです。で、生まれ変わってわれわれは、無意識的に、前生から、あるいは前々生から、探し求めてるものをまた追い求め始めます。よって、この世で多くの無意味な活動をし、苦しまなければいけない。だからそういったものを全て生きているうちに断てっていうんだね。これはすごく修辞的っていうか、いい表現ですね。

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