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解説・心の訓練(34)「夢の如く」

◎夢の如く

 はい、「すべての存在は、夢のごとくであるととらえよ」。

 これは、もちろんわれわれが本当に空っていうものを悟り始めたらそういうふうになってくるんだけど、同時に、われわれがまだそこまで行ってなくても、普段からそういう見方をするといいね、これもね。これも一つの心の訓練です。

 これはね、世界の見方っていろいろあるんですね。だからそれは好きなのをやっていいです。

 例えば、ここでよく言ってるのは、「すべては神の愛だ」っていう見方があるよね。この世の現象っていうのは、すべて神の愛なんだと。だから完全なんだと。ね。あるいはもうちょっとそれの別パターンとしては、例えば「すべては神だ」っていう見方もあるね。

 例えばこれは、よく例に出すけど、クリシュナとラーダー。ラーダーっていうのはクリシュナをすごく愛した女性がいたわけだけど、そのラーダーの言葉として、「わたしはもう最近、すべてがクリシュナに見えるんだ」と。「その辺の木も石も空も川も、みんなクリシュナに見えてしまう」と。で、そのラーダーの友達たちが笑って、「あなた何言ってるの?」と。「そんなわけないじゃない」って言うんだけど、ラーダーは、「あなたも愛という目薬を――ここで愛っていうのは愛情とか愛着とかそういう人間的な愛じゃなくて、神への愛――この愛という目薬をさしてごらんなさい」と。「そしたらあなたもそうなります」と。これはバクティ・ヨーガの一つのパターンだね。

 つまり、すべてが神の愛というよりは、もうすべてが神そのものに見える。それは何でもいいんだけどね。クリシュナだったらクリシュナ。この世にはクリシュナ以外存在しないと、例えばね。で、このパソコンもクリシュナ。ね。この床もクリシュナ(笑)。ここにるみんなもクリシュナ(笑)。わたしが今見ているものすべてクリシュナでしかないと。こういう見方も一つの見方ですね。

 あるいは、例えば慈悲の見方。これはさっきから言ってるように、すべての魂が幸福であってくれと。人々に出会う度に、「ああ、あなたも幸福であって欲しい。幸福であって欲しい」。これも一つの見方だね。

 でもね、こういうこと言うとみんなこう言うかもしれない。「いや、先生、それ全部妄想じゃないですか」と。「心のそういうただイメージの遊びでしょう」と――そうなんだけど、でも、じゃあ、あなたは妄想してないんですかと。そもそも今、皆さんが普段心に抱きながら生活しているそのイメージ自体が、もう妄想なんです。ね。ストレートにこの世を見たら、全く違うものが見える。

 物理学的にもそうだよね。物理学的にいうと、最新の物理学っていうのは、もう仏教やヨーガが大昔からいってたことに近づいてきているんだけど、ヨーガとか仏教の世界では、この物質世界の本質っていうかもうちょっと奥深くに行くと、すべては波動の世界だと。で、それは最新の物理学がそういうことを言い出している。つまり、われわれは原子とか素粒子とかの集まりに過ぎないわけだけど、その原子とか素粒子もずーっとこう正体を追求すると、波動になってしまう。例えばね。これは一つの説だけど。つまり物質ではなく、波動なんだね。つまりすべてはただ波動にすぎない。じゃあわれわれが見てるのは何なんですか? 錯覚なんだと。物理学的にいってもそうなんだね。

 まあこれは一つの例だけど。われわれはまるで自分のものの見方が、すべて現実的だと思っている。でもそうじゃない。みんな妄想を抱いているんだね。しかしそれは自分のカルマに基づいた、非常に低い妄想なんだね。つまり人間界っていう妄想なんです。

 この人間界の妄想の中でも、その人の心の成熟度とかカルマの良し悪しによって見方が変わってくる。例えば、何でもかんでも不満を言う人っているよね。何でもかんでも不満を言う人って、例えば不満を言ってね、「いや、ここがこうだ。ここがああだ」って言ってる。で、全部それを解決してあげたとするよ。でも絶対不満を言います。つまり、その人の妄想の世界がもう不満の妄想なんだね。もうどこに行っても不満を作り出すような世界でしかなくなっている。

 だから、世界っていう客観的な何か事実があるわけじゃなくて、すべてはわれわれの心が作り出した妄想だと。で、それはその人のカルマとか心のきれいさによって、どういう世界に生きてるように感じるかは変わってくる。

 だから、ちょっと別の言い方をすると、全員ドラック患者みたいなもんなんです、ね(笑)。ドラック中毒になってるようなもんです。ずーっと妄想を見続けてる。じゃあ、妄想じゃない世界はあるのか? それは悟りの世界だね。悟らない限りはみんな妄想を見てる。

 で、すぐにはこの妄想から脱出はできないんだけど、少なくとも良い妄想に変えていきましょうと。これが変容の教えなんだね。

 だから意識的にこの世を、さっき言ったような、いろんな利益のある見方で見る訓練をする。すべては神の愛であるとか、あるいはすべては神そのものであるとか、あるいはわたしは菩薩であってみんなの幸福を願うんだとか、いろんな形で変えるんだね。

 で、ここに書いてあるのは、「夢のごとくであるととらえる」。これも一つのとてもいいやり方だね。

 これをみなさん、たまにやってみるといいかもしれない。わたしもたまにやるけど、「これ、夢だ」って考えるんです(笑)。本当にそう思っちゃだめだよ。本気で「あ、夢だ」って思っちゃって、「夢だから会社行かなくていいか」とかなっちゃったらだめですよ。片方の頭では、「まあ、夢じゃないけど」って思ってるけど、でも半分「ああ、これ夢だ」っていう感じを持つんだね。

 実際そうなんだけどね。実際そうっていうのは、われわれの夢っていうのも心が作り出した妄想でしょ。で、さっきから言ってるように、この現実世界も心が作り出した妄想だから。だからこの世は夢だっていうのも正しいんだけど。

 で、意識的にそういうふうに見る訓練をする。「ああ、これ夢だ」と。「わたしが夜寝て見る夢と、今わたしが昼間見ている夢、これは全く変わりない」と。「夢みたいなもんだ」と。ね。そういうその見方をする。これは一つのいい訓練のやり方だね。

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