◎マンゴーのように
◎マンゴーのように
【本文】
人は、マンゴーの果実のように、未成熟の人が成熟したように、成熟した人が未成熟のように、未成熟の人が未成熟のように、成熟した人が成熟したように見える、ということを知ってください。
はい、これもこのままですね。「ああ、これはかなり成熟した甘いマンゴーだ」と思って食べたら、全然おいしくないとか(笑)。逆に、「これまだだな……」って思って食べたら、すごくおいしいとか。
マンゴーっていうのは、外側では分かりにくいのかな。ナーガールジュナはインドの人なので、当然マンゴーはとても身近なたとえなんだろうね。
これはつまり、外見から、あるいはその人が言っていることとか噂とかだけでは、その人の本質というのは分からない。だから一見ものすごく素質があって素晴らしいように見える人、あるいは、例えば表面的な教えを学んで、口ではすごくいいことばっかり言っていて、「この人、何か素晴らしいなあ」と思う人も、実は全然そんな段階に達していない、まだまだけがれがある人かもしれない。あるいは逆に、一見粗末に見えて、一見あまり口でも偉そうなこと言わないし、人からも馬鹿にされている。でも実は大聖者だったとか。それは全く分からないわけだね。
これは、わたしも長く修行してきて、いろんな人と出会ってね、そういうパターンは何度も見てきた。つまり自分が、「え? この人どうなの?」って思っていた人が、実はみんなには分からない素晴らしい徳の持ち主だったりとか。あるいはその逆のパターンね。
だからわたしはそういう経験があったから、人を見るときにね、人は本当に分からない。外見では分からない。あるいは、ちょっと付き合っただけでは分からない――というような見方をするようになったね。だからみなさんもそれはそういう柔軟なというか、ニュートラルな発想を常に持っていたらいい。
例えばある人がいてね、みんなから評判悪かったとするよ。みんながその人のことを悪く言うと。自分もちょっと付き合ったら、本当に「え?」って感じがすると。でも分からないんです。実はすごくいい人かもしれない(笑)。だから決してちょっとした自分の見方とか人の言葉だけで、その人を断定してはいけない。常に柔軟な発想でいなきゃいけないんだね。