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解説「王のための四十のドーハー」第七回(3)


 はい、それによってしっかりと炎を燃やし、それが十分に頭に到達したとき、不死の甘露が滴り落ちる。だからこれはね、よくこのカイラスにもクンダリニーヨーガに興味がある人とかからメールが来たりね、あるいは無料体験で来たりするんですけども、多くの人っていうのは、なんていうかな、偽の経験をしてる人が多い、非常に。偽の経験っていうのは、つまりいろんな本を読んでね、なんか自分がほんとに高い経験をしちゃったかのように思い込んでしまってる人が、まあ実際に非常に多いんですね。で、実際には何も起こってないわけですけども。もちろんね、その中間っていうのはありますよ。中間っていうのは、半分は正しい経験、でも半分はちょっと自分の想像が入ってたりする場合もある。
 実際にほんとにこのプロセスが進むときっていうのは、いつも言うように、まずその覚醒したクンダリニーやトゥモといわれる炎が、まず背中を通ってガーッて上昇するわけですね。このときに、いろんな現象が起きます。人によっては、背中が非常に熱くなる。あるいは人によってはものすごく気持ち良くなる。あるいは人によっては、いわゆるダールドリー・シッディだね、体がボーンって浮いちゃったりとか、すごい振動が始まったりする。あるいは人によっては、そうですね、例えば虫が背中を這ってるような感覚がしたりとか、そういうようなことがいろいろ起こる。で、その途中で、結節といって、その道を、背骨の道を詰まらせてるいろんな壁があるわけですが、それがガッと破れなきゃいけないんだね。で、これもね、人によってなんだけど、これはわたしはそうだったんだけど、結節が破れるときに、爆発音がするんです。わたしは実はそのタイプで、瞑想してるときとか、あるいはね、ちょっと寝てるときっていうかな、寝入りばなとかもそうなんだけど、いきなりね、ボーン!って爆発するんです、体の中で(笑)。「うわ! なんだ! 爆発だ!」って思うんだけど、何も爆発してなくて。「あ、なんか内側だった」って気付いてね。それがね、結節の爆発の音なんです。こういうのが何回かあって、抜けたりする。
 で、もちろん、結節が例えば抜けたりとか、あるいはエネルギーが確実に上がってくると、明らかに変わってきます。変わってくるっていうのは、性格も変わってくるし、あと、ものの見方がちょっと変わってきます。あるいは、そうだな、教えの理解とかも変わってきます。で、ちょっと細かくなるけども、この段階でね、だいたい修行者っていうのは、かなり上下があります。つまりアップダウンがあります。アップダウンっていうのは、つまりこの頭に行っちゃえばいいんだけど、そこに行くまでっていうのは、グーッと上がってきて、例えば壁も破れて、お!って感じでこの段階まで来たら、かなり心が広がって、「お! やはりこの世は修行しかない」、あるいは「慈悲しかない」と。「わたしは神のしもべとして、すべてを懸けたい!」って思うときもあるんだけど、エネルギーがグーッと下がると、「修行なんか、やってもなんか意味があんのかな?」とか、「やっぱりわたしにはわたしの人生がある」とか、なんかいろいろこう(笑)、ちょっとエゴ的なね、なんていうか世界にはまってしまう。
 いつも言うけど、人間の意識って面白いもんで、どこかにはまるんですね。自分を本当の意味で客観視できる人って非常に少ない。その世界、チャクラの世界とか気道の世界にはまっちゃうんです。で、もう一回言うけども、この、今エネルギーが上がってる途中っていうのは、イメージすれば分かると思うけども、つまり、この垂直の壁を登ってるようなもんだから、すぐに上がり下がりがあるんだね。ちょっと疲れて落ちちゃったりとか、また上がったりとか。それによって、修行にもアップダウンがあります。
 でもなんとかこう、上がっては下がりを繰り返すうちに――まあ、でもだいたいちゃんと修行してる人っていうのは、まさに歌じゃないけど、三歩進んで二歩下がると、ね、やってるうちに、まあ、ちょっとずつでも進んでいくわけだね。で、そうしてなんとか進んで、まずこの頭になんとか到達しなきゃいけないんです。
 はい、頭に到達しました――で、もちろんこの上ってる過程でもいろんな経験はあるわけですけども、その経験っていうのはもちろん、バロメーターとしてはもちろんいいことです。その、いろんな――つまり、物理的に言うとですよ、意識がエネルギーと共にこの気道の世界を上ってるんです。で、その今まで上ったことのない気道の世界を上ってるから、当然その過程でいろんな経験をするんですね、意識がね。で、その経験が、いろいろ乗り越えて、で、この頭のてっぺんに到達したとき、ついに不死の甘露がバーッと発生します。
 で、これもいつも言うけども、物理的に甘露が発生しても、その人に徳が少なかったら、あまり気持ち良くない場合もある。だからそれはもちろん前提として、徹底的に徳を積む必要があるんだね。徹底的に徳を積む。つまり功徳といわれる――功徳というのは、いつも言うように、あいまいな概念じゃなくて、物理的なエネルギーです。功徳といわれるエネルギーをちゃんと積んで、それがこの甘露に還元されるんですね。つまりもとの、還元される大もとがなかったらそれはできないっていう意味なんだね。
 で、功徳が還元されて、その甘露と呼ばれるものがバーッと発生する。で、もう一回言うけども、この甘露といわれるのは、その初期段階、もしくはあまり徳がない人にとっては、ただの冷たいエネルギーとして感じられます。なんか頭がひんやりするとかいう感じになるんだね。でもちゃんと徳が積まれ、しかもほんとの意味での純粋な甘露が生じると、ほんとに物理的にものすごい気持ちいいエネルギーとして生じます。
 で、さらにその気持ち良さにも段階があるんだね。最初はなんとなく気持ちいい。で、それがどんどん高まっていって、最後の方ではもう、よく言われるように、もちろんセックスなんて及びもつかないような気持ち良さ。で、ほんとに冗談ではなくて気絶するんじゃないかっていうぐらいの気持ち良さになります。で、それがこのチャクラの世界をバーッて下がって浄化していくんですね。
 はい。で、まず、段階はあるにせよですよ、まず少なくともこの甘露を落とすと。これがクンダリニーヨーガとか、あるいはこのトゥモ、チャンダーリーといわれる、あるいはもちろん仙道とかもそうですけども、それらにおける、第一の、そうですね、中目標なんですね。中目標っていうのは、小目標はその前に、さっきも言ったようにいっぱいあるから。まずエネルギーを燃やすとか上げるとか、いろいろ壁をぶち破るとか、そういう小目標はいろいろある。で、中目標として、まずとにかく頭に到達しろと。ね。ここまでまず、つまり富士の山頂まで登りましょうと。そこからが本当の意味での、修行のね、扉が開くんですよと。
 だからこれは、ちょっと話を戻すと、そういうクンダリニーヨーガをやりたいという人とか、あるいはまあ、それなりにいろんな経験をしてる人にも言うわけですけど、例えば、ある人は、「いや、わたしは結構クンダリニーが上がっちゃってチャクラが全開で、このあとどうしたらいいんでしょう?」とか言う人もいるんだけど、それはあり得ませんよと。ね(笑)。まずは正しいプロセスで気が上がり、エネルギーが上がり、甘露が落ちないと、ほんとの意味でチャクラが開くっていうことはあり得ません。それはすべて気のせいです。開いたふうに思ってるのはね。だからまず、何度も言うけども、甘露が落ちなきゃいけない。つまり別の言い方すると、ここからやっと、人間が人間を超えるプロセスに入るんだね。この甘露が落ち始めたころからね。もちろんそれはなかなか大変なことは大変なことなんだけど、でもこの甘露をまず落とさなきゃいけない。これがまず、具体的なね、皆さんに対するアドバイス。
 はい、そしてその甘露が落ちたあとの話なんですね、さらにね。だからこれが高度な注意なんですけども、その甘露だけでも駄目ですよっていうわけです。つまり、ものすごい至福感が生じましたと。だからなんだってなってしまうんだね(笑)。つまりそれを悟りと結び付けないと、それはただの、なんていうかな、高度な快楽で終わってしまいますよと。そこで――ここにはその具体的なやり方はもちろん書いてないわけですけども、マハームドラーといわれる、心の真髄を直接つかむような修行を同時にしっかりやることによって、で、その心の真髄をつかむ修行と、本質的な甘露の至福を混ぜ合わせることによって、本当の意味での密教が狙ってる真髄の境地にやっとたどり着くんですよ、というのがここの詩だね。なかなか難しいですね(笑)。

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