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シュリーラーマチャリタマーナサ(4)「詩の醍醐味」

「詩の醍醐味」

 わたしの試作にはこれといった長所はなにもないが、ひとつだけ世に秀抜な特質がある。古書経典の神髄、福徳の源泉、凶事を払う聖呪文、愛妻パールヴァティー女神ともどもシヴァ神がたえず口誦される、ラーマ神王の名号、つまりラーム称名が随所にちりばめられていることである。素直な心、温和な性情をお持ちの諸兄弟は、そのことを心にとめられて、ぜひわたしの物語を聞いていただきたい。
 至芸を凝らした詩の逸品も、ラーマ神王の御名を抜きにしては生彩を放ちえない。満月にもまさる眉目麗しい美人がいくら豪奢な装飾で身を飾ったとしても、体を覆う衣装がなくては人前に立てないのと同じ道理である。逆に稚拙な詩人の一見なんの取り柄もない愚作であっても、そのなかにラーム称名とご神徳の賛美が盛り込まれていると知れば、賢者は尊敬の念を込めて朗読したり聞いたりする。ミツバチが花蕊から蜜だけを吸い取るように、賢者は詩の一語一句からご神徳の醍醐味を味わいとろうとすることであろう。

 詩の興趣は微塵もなくとも、わたしの詩にはラーマ神王のご威光が随所に輝く。それだけがわたしの唯一つの頼みの綱である。古来、良い縁に恵まれながら、福徳を得なかったものがあろうか? 煙でさえも香木に触れると、持ち前の苦味が消える。出来映えの稚拙さは紛れもないが、わたしの詩には世間に福徳をもたらすラーマ神王の物語という、最高の宝玉がいっぱいに溢れている。その意味で、この詩をすぐれた作品だとお考えいただきたい。

 作者トゥルシーダースは言う。

「神王ラーマ様の物語は、現世に福徳をもたらし、末世の罪障を消滅させる神恵である」

 この作品は、浄水を満々とたたえながら、曲がりくねって流れるガンガーに似る。ラーマ神王の偉大な称名の功徳を含むこの詩も、ガンガーに劣らず必ずや柔和で優美な諸兄弟の心に添うものとなることを信ずる。

 不吉な火葬場の灰でさえ、シヴァ神のご神体との良き縁に恵まれるとき、麗しい吉祥の品に変わる。シヴァ神を憶念するだけで、不吉、不浄の成分が浄められるのである。わたしの詩も、ラーム称名の偉大な浄化力の恩典に浴して、万人に広く愛されるものとなるだろう。マライ山おろしの香風に触れて、雑木が栴檀と化して衆に賞でられるとき、もとの雑木の卑小を誰が思い浮かべようか? 黒牡牛は黒くても、乳は輝くばかりに白く栄養に富む。そのことを知るからこそ、多くの人が黒牛の乳を好んで飲む。それと同じく、たとえ粗野な里言葉であっても、シーター様、ラーマ様の恩徳を讃える詩であれば、智慧ある人たちは非常な熱意を込めて歌い、かつ聴聞する。マニ宝珠、紅玉、真珠はきらびやかだが、蛇の頭、山の頂、象の額などではさほどの生彩を放たない。王冠や、うら若い女性の身に飾られるとき、ひときわ輝きを増す。詩の名作も、作られた場所から遠く離れたところで輝きを放つと、賢者たちは説く。詩人の頭脳から紡ぎだされる詩句は、作者の真の精神が認められ愛され、大衆がその理想を尊重し実践するところにおいてはじめて、卓越した本領を発揮する。

 サラスワティー女神は、一心に祈念する詩人の信仰に応えて、下界に舞い降りてきてくださる。

「はるばる天界から駆けつけられた女神の疲れを癒やすには、『ラーマ神王行伝』と名づける湖の清浄な水で、心ゆくまで沐浴していただくしかない。それ以外には何千万の方法を試みても無駄である」

 そう考えるから、詩人や学僧たちはサラスワティー女神の前で、末世の罪障を消すヴィシュヌ神の化身、ラーマ神王の御名を、懸命に歌い讃える。下界の人々が、ただひたすらラーマ神王のご威徳のみを讃えるのを見て、サラスワティー女神は、

「なんだって、わたしはこの人たちの招きに応じて下界に降りてきたのだろう?」

と、頭を叩いて後悔する。すると、知者たちは、

「情感は海より豊かで、知識は貝に似たり。サラスワティー様の誉れは、吉祥の星スワーティにもまして気高く尊し・・・・・・」

と歌いはやす。そのときに、サラスワティー女神の啓示を受けて神秘的な詩想が、しぐれのように詩人の頭脳に降り注ぎ、真珠のような美しい詞章がつぎつぎに創造される。そうして生まれた詩句という名の真珠に穴を開け、ラーマ行伝という名の美しい紐をとおして環に綴り、善男善女の清浄な心という名の首に飾るとき、神への熱狂的な愛情が生まれ、詩の醍醐味を味わうことができる。

 暗黒の時代、末世カリユガに生を受けた悪人の所業は、カラスに似ている。姿形は白鳥のようでありながら、心は真っ黒である。常に経典の御教えに背いて悪道を好む。他人はともかくわが身を顧みるとき、ラーマ様の信者と偽って人を欺き、強欲、非道、色情の奴隷、したい放題の乱暴狼藉、悪法の旗振り役、偽善の片棒かつぎなどなど、悪事のかぎりを尽くした罪のおぞましさに心がふるえる。末世の極重悪人のなかにあって、わたしはその筆頭に位置する。

 わたしが過去の悪徳を洗いざらい語り始めたら、物語はとめどなく長引き、しまいまで行きつくことさえできないだろう。それで、自分の悪徳についてこれ以上は述べない。智慧深い人たちは、短い言葉の中からわたしの真意を汲み取っていただきたい。ここまで言えば、どなたもわたしを非難はなさるまい。それでもなお疑いを持たれるならば、その人はわたしにもまして智慧乏しい人言わねばならない。

 繰り返して言う。わたしは詩人でもなければ、巧妙な語り部でもない。ただあらん限りの智慧を傾けて、ラーマ様のご威徳を賛美するだけである。片や広大無辺のラーマ神王の行伝、こなた俗悪に心盲いた痴人の卑小な知識! スメール山を吹き飛ばすほどの強風に、綿屑がどこまで抵抗できようか? ラーマ様の計り知れないご神徳を思うとき、物語を書き進める気力は凋み、身は萎えてしまう。
サラスワティー女神、ヴィシュヌ神、シヴァ神、ブラフマー神などの神々をはじめ、経典、教学、古書、伝説の類までが、いまだ彼岸に辿り着き得ないまま、<ああでもない、こうでもない>と、模索を続ける。ラーマ神王のご威徳は、智慧の力の及ぶところではないことを、みな知っているのである。それでいながら、誰もが神の賛歌を歌い讃えずにはいられない。それに関連して、ヴェーダ経典は祈祷歌の偉大な功徳について特に強調する。

 <玄妙不可思議なご神徳を説き明かすことは、誰にもできない。それでも信者は命のかぎり力のかぎり、神の賛歌を歌い続けなければならない。神の賛歌、つまり祈祷歌の偉大な功徳については、あらゆる古書経典が等しく説くところである。祈祷歌にはほんの一言半句のなかにも、業苦の海に溺れる人々を救い上げ、彼岸に渡す威力が十分に内包されている>

 無意、無情、無名、無形、無始、無終、不生、不滅、常真常楽、虚空を容れる家、万象に遍満する法力、宇宙を貫く真理、唯一無二の絶対存在、それが神である。神は時に応じて荘厳の相を現世に現わされる。宇宙の主神は化身として、いろいろな御業を地上に展開されるが、ひとえにご自身の愛し子である一切生類の幸せのためにほかならない。なぜなら、神は大慈悲者、弱者の味方、救いを求める者の大いなる保護者だからである。神は信じて頼る者を慈しみいたわられる。一度慈悲の目をかけられたなら、決して見放されることがない。神の化身ラーマ様は貧者の味方である。失った財産は必ず取り戻してくださる。

 ラーマ神王は自由闊達、晴朗明快、柔和善順の人間的性格を保ちながら、しかも全智全能、天地万象あらゆるものの機能者でもある。そのことを知ったうえで智者たちは、ヴィシュヌ神のご神徳を讃えてまず言霊を浄める。そして、自作を解脱と信仰という名の無上の美果を生らせる霊樹に仕立て上げる。祈祷歌という名の霊樹の果実、つまり計り知れない神の恩寵を恃み、壮大な神力の御加護にすがりながら、わたしはラーマ神王の御足に恭しく頭を垂れ、行伝の叙述にとりかかる。過去にもヴァールミーキー、ヴァスなどの聖者が、ヴィシュヌ神のご神徳を歌唱賛嘆したあとで、試作に着手したという故事がある。おお、諸兄弟よ! その人たちの歩んだ道を、わたしも踏襲するのが最良であろう。

 洋々たる大河が行く手を阻んでも、王が橋を架けるとき小さな蟻でも楽々と川を渡っていける。わたしも先哲の足跡をたどり、聖者の遺訓を支えにして、ラーマ神王の行伝を労せずに語り終えることができるだろう。こうして内なる心力を懸命に奮い起こしつつ、わたしは熱誠をこめてラーマ神王の物語を創造する。

 ヴァス以来、多くの大詩人が輩出して、華麗な詩才を競いながらヴィシュヌ神のご神徳を賛嘆称揚した。それら詩聖たちの蓮華にも例うべき御足を礼拝しながら、
「どうか、わたしの大願を無事成就させてください」
と、祈願する。ラーマ神王の行伝をさまざまな詩型で歌い伝えた末世の詩人たちにも、礼拝を捧げる。口承で神のご功業を語り伝えた語りべたち、過去にも、現在にも存在し、未来にも生まれるであろう、それらすべての詩人たちに、わたしはいま見栄も外聞もかなぐり捨ててお願いする。

「願わくばわたしの心願を嘉せられて、この試作が上層社会にも受け入れられるよう、お力添えください。愚かな詩人が独り苦労を重ねながら作る詩を、知識人たちは顧みようとさえしません。徳風も、試作も、財宝も、ガンガーのように広く世間に認められるときにはじめて、価値あるものとなります。ラーマ様の徳風は類なく麗しく、名声はあまねく天下に認められています。それにくらべて、わたしの試作は醜いことこのうえもありません。わたしはいま、そのことを恐れています。両者は決して整合するわけがないのです。詩の先達たちよ! あなた方の御慈愛に恵まれれば、不可能なことも可能になります。絹糸ならば、筵を縫い合わせるのにも、すぐれた役割を果たすのです」

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