解説「菩薩の生き方」第三回(6)
はい。じゃあ、これくらいにして、質問を最後に聞いて終わりにしましょうかね。はい。じゃあ質問、何かある人はいますか?
――あの、こういうものっていうのはね、ソクラテスみたいに、われわれは無智なんだからと考えて、あまりその無智な表面的な頭では考えない方がいいね。何を言ってるのかっていうと、ワード、そして、ある意味観念でいいです。ワード、観念でいいって言ってるのは、例えば「菩提心」――それでいいんです。「菩提心大事だな」と。「こうこうこうで菩提心が大事だ」ってやっちゃうと、その「こうこうこうで」っていうのが無智な理解だから、「でもこうこうこれはこうなんじゃない?」ってなっちゃうと崩れちゃうんだね。うん。じゃなくて、ちょっとこう言うと本当に曖昧なんだけどね、「わたしは菩提心が直観的に大事だってわかった」と。で、大事なのはね、これ、いつも言ってるけど、ちょっとこういう話をすると、ついてこれる人とこれない人いるかもしれないけど、大事なのは、最初にどう決めるかなんです。で、決めたら全力でやってください。これ、何回も言ってるけどね。選択が大事です。で、選択した道は、全力でやってください。
これ、何回か例えとして出してるけど、野球と似てる。野球のバッターがね、ピッチャーが投げてくる次の球に、ヤマを張ると。ね。つまりストレートか変化球かと。ストレートの打ち方と変化球の打ち方は違うわけだね。でも、今大事な場面であると。例えば、ねえ、ツーストライク、スリーボールで、ツーアウトで、一発出れば逆転で、ねえ、三振したら負ける試合であると。例えばこういうときに、次の一球――絞るわけだね。うん。次はないわけだから。「どっちだ!」と。「ストレートか変化球か」と。ストレートって決めたら、迷わずストレートで振ってください。つまり変化球の打ち方はまた違うわけだけど、ストレート来るって決めたら、普通にもうそのまま打ち返すと。ね。で、ここで例えば途中で、「あれ、やっぱり変化球かな?」とか、「今ピッチャーが投げようとした顔がニヤッとしたぞ」と。ね(笑)。「やべえ! だまされたかな」と。
イチローとかはさ、ねえ、すごく技術があって、途中で変えたりとかできるのかもしれないけど、そうじゃなくて、変えない。ストレートって決めたら、最後までストレートとして振り切ると。つまりこれが修行には実は大事なんです。「あ、菩提心!」って決めたら、途中で一切疑念を差し挟まずに、百パーセント菩提心に身を捧げてください。あるいはバクティもそうですよ。バクティの教えを学んで、「あ、これか!」って思ったら――最初に選ばないのは自由です。「これか」って思わなかったらもうしょうがないから。で、「これか!」って思っても、もし最初に選ばなかったらそれはそれでまあしょうがないっていうかな。選んだ方がいいけども。でも選んだら、百パーセントそっちを取る。
なぜかというと、何度も言うけども、われわれは無智だから。で、この気付いたことがすごい宝物なんだね。
でも最初、「あ、菩提心! これじゃね!?」って思うんだけど、すぐに違うカルマがいろいろ湧いてきて――カイラスでもよくある話だよね。カイラスに無料体験に来て――わたしも昔はよく無料体験をやってたから、わたしと会ったり、あるいはインストラクターと会ったり、あるいはこの道場の雰囲気とかに触れて、ちょっと興奮した感じになってね、「あ! なんかいいですね」と。「ちょっと修行してみたくなりました! 入会します。じゃ、入会金は次払います」とかなるんだけど(笑)。でも次の日電話かかってきて、「やっぱりちょっと、なんかあまり興味なくなりました」と。うん。つまりいろいろ、なんていうかな、魂が求めてた、パッと来た直感ではなく、今生つくってしまったいろんなもので考えだすと、「あ、やっぱりやめとこうかな」と。うん。「あれ、菩提心ってなんかそんなでもないかな」ってなってしまうんだね。だからこれは駄目です。駄目ですっていうか、損だね。
もう一回言うけども、この無智なわれわれが、稲妻のように瞬間的に目覚めるときがある。一瞬ね。一瞬目覚めて、「あ! これかな?」――これ、菩提心だけじゃないんだけどね。「あれ、わたしの生き方これかな?」って目覚めるときがある。もう一回言うけども、そこでそれを取らないんだったらしょうがないです。取ったら、もう損得考えず――現世的な損得考えない。あるいは頭でああだこうだ考えず、理由付けとか逃げを考えずに、一生やってください(笑)。ね。一生ですよ。うん。五分とか一日とかじゃなくて、一生ね(笑)。一生貫いてください。
「神のしもべに」の歌にもあるように、それで人生棒に振ったってかまいません。うん。これはヴィヴェーカーナンダみたいな生き方だけどね。ヴィヴェーカーナンダが言うように、ねえ、「必要であれば、我々はラーマクリシュナのために人生を棒に振ろうじゃないか」と。ね。それくらいの信っていうかな、貫く誠実さが必要なんだね。なかなか現代人っていうのはそれがない。
わたしももちろん、何度も躓いたことはあったけども、やっぱり現代人の性質として、ちょっといろいろコロコロ変えるっていうかな。うん。それがまるで理性的なような錯覚をしてるんだね。ただ、それは逃げです、心の。あるいは不誠実さです。もう一回言うけども、ちょっとこういうことを言うと誤解を生むかもしれないけど、それが善であろうが悪であろうが、決めたら貫いてください。ね。善であろうが悪であろうが、あるいは、あとで頭でいろいろ考えが出て来ようが、最初の――もちろん何度も言うけども、悪いことは駄目ですよ。悪いことじゃなくて、心でハッと「これだ!」と思ったことは、貫いてください。貫かないと何も現われません。貫くことによってやっと発動するものがあるからね。で、発動してから考えてください。あるいは終わってから考えりゃいい。
つまり――今わたし、強烈なこといっぱい言ってるけどね。例えば、「これが真理だ!」と思ったら、一生貫いてください。で、一生貫いて、死ぬ間際に「棒に振っちゃった!」って思ったら、わたしを恨んでください(笑)。
(一同笑)
まあ、わたしを殴りに来てもいいよ。うん。そのときもうわたしはいないかもしれないけどね(笑)。
(一同笑)
でもさ、本当にそういう世界なんだね。うん。
-
前の記事
解説「菩薩の生き方」第三回(5) -
次の記事
解説「ミラレーパの十万歌」第二回(3)