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第六章 帰依

第六章 帰依

 帰依の実践による道のステージを、着実に学ばなければなりません。

 すべての道の基礎は帰依です。
 劣った人は、悪趣への恐れから、帰依をします。
 次に、普通のタイプの帰依者は、輪廻そのものを恐れるが故に帰依をします。
 そして優れた帰依者は、輪廻で苦しむ衆生の悲惨さに耐えることができず、帰依の実践をします。

 帰依の持続期間は、その志の強さによって決定されます。
 劣ったタイプは、この世における幸福を得るまで帰依をするでしょう。
 普通のタイプは、彼らが生きている限り、あるいは個人的な解脱を達成するまで帰依をするでしょう。
 優れたタイプは、完全なる智慧やブッダフッドの悟りを得るまで、何度生まれ変わっても帰依の実践をし続けるでしょう。

 帰依の対象は、二つの様相を持っています。
 ひとつは一般的な、あるいは「原因の道」における帰依の対象であり、 
 もうひとつは、特別な、あるいは「結果の道」における帰依の対象です。
 「原因の道」とは一般的な仏教の道であり、
 「結果の道」とは、ヴァジュラヤーナの道です。

 「原因の道」における帰依の対象は、ブッダ・ダルマ・サンガの三宝です。

 ブッダとは、衆生が至る最高の状態の顕現です。

 ダルマは二つの要素から成ります。
 それはお釈迦様が実際にお説きになったものがまとめられた教えと、
 後の時代に、聖者たちがブッダのインスピレーションを受けて成立したタントラの教えです。
 
 お釈迦様が実際にお説きになったものから派生する教えは、十二の項目にまとめられます。――それは経(sUtra)、ゲーヤ(geya)、記別(vyAkarana)、ガーター(gAthA)、感興(udAna)、ニダーナ(nidAna)、アヴァダーナ(avadAna)、如是語(ityukta)、輪廻転生談(jAtaka)、方広(vaipulya)、未曾有法(adbhutadharma)、そしてウパデーシャ(upadesa)です。

 タントラは、基礎的な探求として所作(クリヤー)ヨーガ、行(チャリヤー)ヨーガ、そしてヨーガ・タントラがあります。
 そして最奥儀として、無上ヨーガと呼ばれる父タントラ・母タントラ・不二タントラがあります。

 ダルマの実践によって進んでいく菩薩の十のステージは、次のようなものです。
①歓喜
②無垢
③光を発する
④智慧の光
⑤征服されない
⑥現前
⑦遠行
⑧不動の境地
⑨優れた智慧の力
⑩法の雲

 この菩薩の十のステージの次にくる十一番目のステージは、「すべてに偏在する光」と呼ばれます。
 そしてヴァジュラヤーナにおいては、さらに十二番目のステージ、そしてその特質や環境に応じた様々なステージがあります。

 準備、加行、見、修、そして学を超えることなどの五つの道は、人生の真の意味を照らす、けがれなき太陽の光です。

 サンガは、預流・一来・不還・阿羅漢の「四向四果」のそれぞれの段階の者たち、菩薩、そしてダーカ、ダーキニーなど、密教の曼荼羅を構成する様々な存在が含まれます。

 これらの三宝が、あなたの帰依の具体的な対象です。
 あなたは自分の眼前の空間に、それらを思い描くべきです。
 特に、「ブッダとなんら変わることのない自らのグル」を、最も重要なものとして観想し、帰依すべきです。

 それらを物質的に、精神的に、神秘的に尊敬して、手を合わせ、喜びの心をもって、次のように言うべきです。

「無上の悟りの境地に至るまで、
 すべての衆生のために、
 ブッダそのものであるグル、ダルマ、サンガ帰依し奉ります。」

 このように、心の奥底から何度も繰り返して唱えるべきです。

 またあなたは、このような帰依による喜びやその恩寵によって、あなた自身および他の衆生の身口意によるカルマのけがれが取り除かれると考えるべきです。
 また、功徳の蓄積は完全になったと考えます。

 また、帰依をしている自分、帰依の対象、そして帰依という行為のすべてが、究極的には一つであり分けられないものであると理解することによって、智慧の集積は完全になり、自分の心の本性である光り輝くダルマカーヤへの道が開かれたと考えます。

 このように、功徳と智慧の二つを円満にするために、そして人生を喜びに満ちたものにするために、
 この世で生きていく上において、決してグルおよび三宝を放棄してはなりません。
 グルを欺かず、グルを非難せず、グルをブッダそのものと見て帰依します。
 欲望の世界の神々をあがめず、完全なるブッダに帰依します。
 邪悪な法に帰依せず、真理のダルマに帰依します。
 邪悪な人々と付き合わず、真理のサンガに帰依します。

 そして、たとえそれが単なる絵や彫像であっても、グルおよび三宝を象徴したものを崇敬するようにします。
 そして昼も夜も常に、グルと三宝のことを考え、帰依の思いを持ち続けるようにします。

 「結果の道」における帰依の教えは、肯定と否定、あるいは善悪について考えるのではなく、非二元性を悟るために努力することです。
 すべてがもとから完成しているただ一つの曼荼羅であるという認識を持って生きるのです。

 
 これらの帰依の実践によって、純粋な心という信仰の土が、功徳および原初の智慧という雨によって十分に滋養されるとき、すべての健全なるものの芽は大きくなり、悟りという作物は熟すでしょう。

 菩薩としての正しい誇りと礼儀正しさ、気遣いや注意深さ、美しさのような、多くの意味深い特質が育っていくでしょう。

 原初の智慧という太陽は、マントラの雲の背後から、あなたの心の中に昇るでしょう。
 夢の中でさえ、あなたはそれを保ち続けるでしょう。また、生まれ変わってもそれを思い出すでしょう。

 すべての衆生の幸福のためになることのみが、あなたがこの世に存在する価値になります。
 あなたは救済者として、三界のすべてを自分のものとし、
 そして最終的には、あなた自身がすべての衆生のための帰依所になるでしょう。

 さて、このようなすべての有益な特質を生み出す「帰依」に、
 どのような智者が、頼らないというのでしょうか?

 すべての衆生の救済者であり、
 すべての衆生の悪を取り除き、
 すべての衆生を幸福に向かわせる方に
 私は信を持って礼拝いたします。

 また、すべての世界の願いをかなえる如意宝樹であり、
 そして幸福と解脱の起源であられる、
 優れた師に帰依し奉ります。

 優れた人がなすべきであるところの、このような帰依の実践に専念することによって、
 悪行のために疲弊しきった衆生の心が、
 今日こそ、安らぎと幸福を見つけられますように。

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