「解説『スートラ・サムッチャ』」第14回(4)
◎絶対と相対の接触
はい。だからもう一回言うと、ちょっとここの部分だけ、若干あいまいにですけど、まとめると、いいですか?――如来というのは、あるいはこの世界を解脱した存在が、われわれを救うためにこの世に来るときっていうのは、われわれがよくイメージするような、分かりやすく、ある魂がこの世界に救済のために降りてきましたみたいな、そんな分かりやすい話じゃないってことですね。そうじゃなくて、われわれが認識してるのとは違うかたちでわれわれは接触しています。でもそれが、われわれのカルマの限界によって、あるいはわれわれの必要性に応じて、その如来の姿や、あるいはアヴァターラの姿が、その時代あるいはその人その人においてね、見え方が違うんですね。
例えばさ、信仰っていう意味でいったら、それはちょっと分かるかもしれないね。信仰っていうのは、例えばある聖者がいるとしてね、そのある聖者と縁のある人にとっては、その聖者はものすごい、神の化身に見えるかもしれない。でも、ほかの縁のない人にとっては普通の人に見えるかもしれない。例えばラーマクリシュナとか一番いい例ですよね。ラーマクリシュナっていうのは、まあ今ではすごい評価されてて、インド三大聖者の一人とまで――三大聖者っていうのはお釈迦様とシャンカラとラーマクリシュナ、三大聖者とかよく言ったりするわけですが――それくらい評価されてるわけだけど、もともとは、なんかただの田舎のちょっと狂ってるんじゃないかって言われるぐらいの人だったんだね(笑)。写真見ても、ちょっとこう聖者ぶってないから。つまりインドのよくある、聖者っぽいこう威厳のある感じじゃないからね。で、言うことも非常にユーモアがあって、で、いつも裸で踊り回ったりしてると。うん。まあ、だからそれだけ見ると、縁のない人にとっては、ただの田舎の面白い聖職者ぐらいにしか見えないわけだけど、でも縁のある人にとっては、もう神そのものであると。
それはいろんなそういう表現、エピソードがいっぱいある。例えば、そうですね、皆さんも知ってるナーグ・マハーシャとか、あるいはあの『ラーマクリシュナの福音』を書いたMとか、ああいう一部の人たちっていうのは、別にそんなにまだラーマクリシュナと接していない、ちょっと数回会って話を聞いただけなのに、「あっ、この方は神そのものだ」と。もう理解してるんだね。まあ、それは完全に縁なんですけど。縁によって、もう彼らにとってはそういうふうに見えてしまうと。で、それを例えばほかの人が「説明してください」って言っても説明できないんだね。「なんであなたはラーマクリシュナが神だと分かったんですか?」って言われても、「いや、それは説明できない」と。まあ、というよりも神側――つまりその神の恩寵によってそれは開かれるだけであって、っていう言い方をしてるんですね。
だからこれは一つの例ですけどね。つまり例えばラーマクリシュナだったらラーマクリシュナっていう一人の人がいて、ある人にとってはそれが神そのものに見える。ある人にとってはただの田舎のおじさんに見えると(笑)。ね。こういうふうに、なんていうかな、こっち側のその条件によって変わってくるわけだけど。でも、ただこれはまあ信仰心の問題も入ってくるから、まだわれわれの理解の範囲内なんですけども。
もう一回話を戻すけど、実際にはその理解の範囲を超えています。超えてるっていうのは、例えばラーマクリシュナにしろ、ほかの聖者にしろ、この世を超えてしまった聖なる存在っていうのは――もう一回言うけどね、ここは論理的に皆さん多分理解できると思う。――超えてるから(笑)。超えてるから、そもそも――これはよく言う話ですけども、くり返しますよ――相対的なものと絶対的なものっていうのは、本来交わらないんです。言ってる意味分かるよね? 相対的っていうのは、つまり二元的、つまり裏があって表がある、闇があって光がある。この世のものってすべて相対的ですね。始まりがあり終わりがあると。で、絶対的なものっていうのは、その相対を超えている。その二元性のない世界なんですね。で、この二つっていうのは、もちろん交わらないんです。全くその接点がないから。でも交わってるんです。これが救世主っていうか救済者と、バガヴァーンと、われわれ悩める魂の接触なんだね。で、それに応じて見え方が変わってくるっていうことです。
で、じゃあ如来のほんとの正体、本性はなんなのかっていうのは、何度も言うように、悟らないと分からない。しかしここで言いたいのは、この分からないということ、あるいはわれわれが見てるその如来とかアヴァターラの見え方っていうのは、ただわれわれのカルマに依存してるだけであって、絶対的なものではないっていうこと。これは頭に入れといてください。そういう柔軟な目で教えを理解しようとしたらいいね。そうすれば、まあ完全に理解できなかったとしても、ガチガチに固まることはない。
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