「足るを知るアガスティヤ」
ジャータカ・マーラー 第七話
「足るを知るアガスティヤ」
かつて世尊が菩薩であったとき、あるブラーフマナの家に生まれ、名前をアガスティヤといいました。彼は様々な聖典の儀軌を学び、その学問の名声によって多くの信者を得、多くの財産を獲得しました。
そしてその財産によって、彼自身も多くの布施を行なっていました。
さて、あるときアガスティヤは、このように考えました。
「在家の生活は悪い動機・執着・悪業に満ちていて、怠惰の場となっており、財を獲得しても執着することに忙殺され、心を乱すことに熱中し、限りない事業の実行と獲得のために疲労し、いつも不満を感じ、満足を得るのは難しい。
これに反して出家の生活は、在家のデメリットを離れた楽しみがあり、ダルマにかなった行ないがあり、解脱の法を行なうよりどころである。」
こうして彼は、自らの多くの財産を草のように捨て去って、出家修行者となりました。
しかし出家した後も、この名声高き偉大なる魂のもとへは、多くの信者たちがたずねてきました。彼は、在家の人々と接すると、厭離の楽しみが乱され、執着を離れることの妨害となると考えて、南の海の真ん中にあるカーラー島という島に渡り、ひそかにそこに住むことにしました。
そこにおいて彼は、苦行においてひどくやせ細っていましたが、美しく輝いていました。
彼は森で手に入る食物だけで生活し、また布施の習性から、たまたまやってきた客人に、自らが食べるために集めてきた木の実や根や清水を捧げ、その残り物だけを食べていました。
戒律や誓いをひたすら守り、寂静の心によって感覚器官を不動にし、動物や鳥たちでさえもが、彼を聖者であると理解していました。
このような卓越した苦行者であるアガスティヤを見て、インドラ神は心惹かれて、彼の堅固さを知りたいと思い、彼が住んでいる森の中から、食用となる根や実などをすべて消し去ってしまいました。
しかし菩薩は、瞑想に専念する心を持ち、足るを知るが故に、無執着なるが故に、食物にも自分に肉体にも愛着がないが故に、森から食物が消えた原因について思いめぐらすことはありませんでした。
彼は食用に適さない木の葉を煮てそれを食べ、安らかな心をもって、以前とまったく同様に生活していました。
それを見たインドラ神は一層驚いて、彼への尊敬の念を一層強くしつつ、さらに彼を試みるために、巨大な風を巻き起こし、森のすべての蔓、草、木、葉などを吹き飛ばしてしまいました。
しかしアガスティヤは動ずることなく、落ち葉を拾ってきてはそれを煮て食べ、何の苦痛も感ずることなく生活しながら、瞑想の喜びを楽しみつつ、満足して暮らしていました。
それを見たインドラ神は、彼の「足るを知る」心の堅固さに一層驚き、人間のブラーフマナの姿に変化して、アガスティヤの前にあらわれました。
それを見た菩薩は喜んでブラーフマナに近づき、やさしい言葉とともに、食事に招待しました。ブラーフマナがそれを承諾すると、菩薩は布施の喜びに目も顔も輝き、苦労して入手したわずかな食物のすべてをブラーフマナに布施しました。そして自らは何も食べることなく、歓喜の状態で瞑想に入りました。
インドラ神は、次の日も次の日も、五日間連続で、同様にブラーフマナに姿を変えて、菩薩の前にあらわれました。菩薩は毎日、一層歓喜した心をもって、自らは何も食べずに、食物を布施し続けました。
さて、インドラ神はこの上もなくおどろき、このお方は卓越した魂であるがゆえに、三十三天界の主である自分の地位を奪われてしまうのではないかという恐怖と懸念が生じました。そこでインドラ神は、自らの神としての正体をあらわすと、菩薩に尋ねました。
「いとしい親族や従者たちを捨てて、あなたは一体何を望んで、この苦行の苦しみに住するのですか。
財物を軽んじ、悲しみに打ちひしがれた親族を捨てて、安らぎのない苦行林へ赴くのは、些細な理由によるはずはない。
私のこの好奇心に、どうぞあなたはお答えください。あなたの心がこのような功徳の探究に魅せられたのはどうしてでしょうか。」
菩薩は答えました。
「尊者よ、聞いてください。私の努力が何を目的としているかを。
輪廻転生を繰り返すことは、はなはだしい苦しみである。老いの不幸も、病の恐ろしさも同様である。また、死なねばならぬという心の悩みも同様である。
私はこの苦しみから、世間の人々を救おうと決意した。」
そこでインドラ神は、「この方は私の地位を狙うような者ではない」と安堵し、また、その言葉に心やわらげられ、菩薩を称賛しつつ、こう言いました。
「苦行者よ。あなたの語った素晴らしい言葉に対して、私は施物をあたえよう。何でも欲するものを言いなさい。」
しかし菩薩は、世間のもろもろの楽しみに無関心であり、欲望は苦の原因であると知っていたので、「足るを知る」の心をもって、こう答えました。
「いとしい妻子、権力、大きな財産を得たとしても、火のような欲望は、決して満足に至ることはない。
よって私は願います。愛著の火が、決して私の心に入りませんように。」
そこでインドラ神は、菩薩をさらに称賛して、再び言いました。
「聖人よ。あなたの語った素晴らしい言葉に対して、私は施物をあたえよう。何でも欲するものを言いなさい。」
菩薩は答えて言いました。
「インドラ神よ。よき徳に住する方よ。
人は怒りの炎によって、まるで敵に支配されたかのように、財も、美も、和も、敬いも、名声も幸福も失ってしまう。
そのような怒りの炎が、私の心から遠ざかりますように。それが私の願いです。」
その言葉を聞くと、インドラ神はさらに驚いて、彼をたたえて、再び言いました。
「あなたの語った素晴らしい言葉に対して、私からの贈り物を何か受け取ってください。」
菩薩は答えて言いました。
「私が、愚者を決して見聞きすることがありませんように。
私が、愚者に話しかけることがありませんように。
私が、愚者とともに住むことの倦怠と苦悩を受けることがありませんように。
これが私があなたにお願いしたいことです。」
これを聞いて、インドラ神は言いました。
「苦難に落ちた人こそ、よき人々に憐れまれるべきです。
愚かさは、もろもろの苦難の根本であり、最悪のものです。
あなたは慈悲深い人であるのに、なぜ慈悲を必要としている愚者と会うことを望まないのか。」
菩薩は答えて言いました。
「尊者よ。ここでいう愚者とは、現時点においては治療不可能な愚者たちのことです。
そのような愚者に会うことは、どうしてもだめなのです。
もし少しでも治療可能な愚者ならば、私は利他の努力を怠ることはないでしょう。
しかし現時点において治療不可能な愚者は、会うに値しないのです。
彼は悪行を善行であるかの如くに行ない、他の人をも悪に引き込みます。
そして自己を賢者と考える慢心の迷妄に焼かれ、乱暴であり、有益な助言をする人に対しても、ただ怒りによって返すのです。
このような愚者と会うことは、私の心の汚れとなり、彼自身も悪業を積むことになってしまいます。
よってそのような愚者には、会うことさえも許されないのです。」
この言葉を聞いてインドラ神は、彼を称賛して、再び言いました。
「あなたの語った素晴らしい言葉以上に、価値あるものはない。どうか私の贈り物を受け取ってください。」
菩薩は答えて言いました。
「私は賢者にお会いしたい。
賢者のお言葉を聞きたい。
インドラ神よ、私は賢者とともに住みたい。
私が賢者と会話をともにすることができますように。
神々の王よ。この贈り物を私に与えてください。」
インドラ神は言いました。
「あなたは賢者を極度に偏愛しているようですが、まずそのわけを話してください。
あなたはまるで馬鹿のように、賢者に会うことを渇望しています。そのわけを話してください。」
そこで菩薩は答えて言いました。
「尊者よ、聞いてください。私の心が賢者に会うことを切望するわけを。
彼は自ら功徳の道を歩む。
その道によって他の人々をも導く。
常に利他心に満ちているので、怒りの心が生ずることはない。
彼は常に偽りを離れた戒律を守り、誰に何を言われても、利他心が崩れることはない。
こういうわけで、私は功徳を偏愛しているので、功徳を偏愛する賢者を偏愛するのです。」
そこでインドラ神は菩薩をさらに称賛して、再び彼に贈り物をすることを申し入れました。
「あなたは『足るを知る』ことを成就しているがために、何も必要としていないのでしょうが、私のためを思ってくださるなら、どうか私の贈り物を受け取ってください。
私はあなたに心から奉仕したいのです。あなたに贈り物を拒絶されることは、私には大きな苦悩なのです。」
インドラ神のこの上ない奉仕の願望を知って、彼の利益を願う心から、菩薩はこう言いました。
「それではインドラ神よ、清浄な戒律を守って生活してるわれわれ苦行者たちに、飲食物の供物をお与えください。」
インドラ神は言いました。
「わかりました。素晴らしい飲食物を、あなた方苦行者たちに与えましょう。
さあ、さらに贈り物を差し上げましょう。何でもおっしゃってください。」
菩薩は答えて言いました。
「さらに私の願いを聞いてくださるなら、インドラ神よ。二度と私に近づかないでください。」
このように言われてインドラ神は、驚き、また激怒しつつ言いました。
「そのようなことを言わないでください。私はあなたに贈り物を与えたいと思って来ているのに。この世の人々は、祈り・誓い・供養や苦行などの様々な手段によって、私にまみえたいと願っているというのに。」
菩薩は答えて言いました。
「どうか怒らないでください。神々の王よ。私はあなたを尊敬しており、不敬を働くわけではありません。
しかし、あなたの超人的な光り輝く姿を見、あなたの恵みの優しさに触れると、私の中に、楽を求める怠惰な心が生じるのではないかということを、私は恐れているのです。」
これを聞くとインドラ神は、菩薩を右回りの礼で礼拝して、姿を消しました。
夜明けになって、菩薩は、インドラ神によって送られた数々のすばらしい飲食物を見ました。さらに、インドラ神の招待に招かれた幾百人の聖者たち、そして彼らに供養しようと待っている神々の子たちを。
このように、苦行林に住む苦行者たちにとっても、「布施」と「足るを知ること」は不可欠な要素なのです。
ましてや、在家者にとってはなおさらです。
したがって、善き人は、「布施」と「足るを知ること」に励むべきです。
そして、布施・愛著を捨てること・怒りを捨てること・迷妄を捨てること・賢者に会うこと・足るを知ること、そして如来の素晴らしさについて、思惟を巡らすべきです。
このようにもろもろの前生においても、世尊は素晴らしい言葉の宝庫だったのです。まして正覚を開いた後においては、なおさらのことなのです。
-
前の記事
こころ -
次の記事
「マイトリーバラ(慈愛の力)」