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シュリー・チャイタニヤ・マハープラブ(1)

【若年期】

 1486年2月4日の月食の日、シュリー・チャイタニヤは、ナヴァディープのマーヤープル居住区で、聖典に造詣の深いパンディットであった父ジャガンナート・ミスラと母サチとの間に生まれました。
 ナヴァディープは現在のカルカッタから北方75マイルほど離れたナディア地区の聖なるガンガーのほとりにあり、学問の中心地であり貿易も栄えていた豊かな町でした。ナヴヤ・ニヤーヤと呼ばれる、ミティヤーで誕生した新論理学が、ナヴァディープでも既に導入されていました。それはガンゲーサ(西暦1200年頃)を筆頭にした偉大な学者たちの継承によって発展したものでした。ニヤーヤを学ぶために、インド中から学生たちがナヴァディープに集まりました。
 チャイタニヤが世に出現することとなる15世紀、学問の中心地としての評判はあったものの、ナヴァディープには霊性の光が欠けていました。ヴィシュヌ派は公の宗教でしたが、一般のパンディットたちは霊的熱意を持っていませんでした。宗教は単なる儀式へと退化していき、宴と軽薄な気晴らしによってときどき中断される、辛らつで例証的な論争に、パンディット達はその知的追求を費やしたのでした。このようなパンディットたちの生活の中に、ヴィシュヌ派の重要な教えである「神への信仰心」はありませんでした。

 主の誠実なヴィシュヌ派信者であり、教養のあったアドワイタ・アーチャリヤは、このようなバクティの衰退と物質主義の支配を目の当たりにして衝撃を受け、常にクリシュナに祈りを捧げていました。

「おお、主よ! あなた様自らが化身してくださらなければ、衆生はどのようにして罪の償いができるのでしょうか。」

 その祈りに応えるために、チャイタニヤはこの地上に顕現されたといわれています。

 チャイタニヤの父ジャガンナート・パンディタと母サチの間には、八人の娘と一人の息子がいましたが、ヴィシュウェーシュワラ少年は16歳になってすぐ、遍歴僧の生活をするために家を出ていき、八人の娘達は全員亡くなりました。
 そして十番目の子として生まれたチャイタニヤに、父親は占星図を考慮してヴィシュワーンバーラと名付け、母親はニームの果実と葉の苦味を連想させるニマイ(短命という意味を持つ)という名前を与えました。母親は、八人の娘を失うことになってしまった悪い廻りの下で、縁起の良くない名前は逆に危険を回避できるのだと信じていました。(一方で、この名前が彼に与えられたのは、ニームの木の下で生まれたからだという説もあります。)
 ニマイは、聖糸の授与式のときにその美しさを認められ、ガウラーンガ(金色の人)と名前を変え、のちに彼に出家のための祝福を与えた霊的グルによって、シュリー・クリシュナ・チャイタニヤという名に変わりました。

 ニマイの幼少期は、まるでシュリー・クリシュナ自身を彷彿とさせるものでした。赤ん坊の頃のチャイタニヤの輝かんばかりの非常な美しさに魅了されて、彼を抱擁するために女性たちが次から次へと訪れ、母親が世話をする時間も残されていないほどでした。赤ん坊は、ぐずってもハリの御名を唱えればなだめることができました。
 ハイハイができるようになると、目を離した隙にすぐに通りに出ていってしまい、それは歩けるようになってからはさらに頻繁になりました。

 ある日、ニマイがアクセサリーを身につけて町を歩いていると、盗賊に襲われ、アジトに連れていかれそうになりました。しかし驚くべきことになぜか盗賊は道に迷い、ついにはニマイの家に到着してしまいました。この出来事が奇跡的な要因となり、盗賊はその後、禁欲主義者となって聖者になりました。
 これは、チャイタニヤによる奇跡的転換の始まりでした。

 ニマイの美しさは筆舌に尽くしがたいものでした。彼の顔艶はプラチナの華麗さのようで、その手のひらや足の裏はまるで朱赤で染められたような色をしていました。彼の唇はビンバフルーツのように赤みを帯び、非常に愛くるしい瞳はまるで蓮の花のように細長く、またその花蜜で湿らせたようでした。

 多くの超自然現象が、少年の体に現れました。彼が寝ていると、月光のオーラが寝室と彼を包み込み、光を放つ多くの影が、母親の前にときどき現れました。

 あるときは、ニマイが母親に言われて父のいる部屋へ移動しようとして歩くと、子供のアンクレットの鈴が擦れるような音が聞こえました。これは後に、チャイタニヤの中のゴーパーラの存在を示すものと理解されました。しかし母親サチは、愛するニマイを襲う悪魔の兆候でないかと懸念していました。

 ニマイは成長すると、クリシュナのように人々の心を喜ばせるような多くの戯れに熱中しました。食事を忘れるほど遊び、母親の嘆きだけが唯一彼を家に帰すことができたのでした。落ち着きのない性格で、見たものはなんでも、焼飯でもバナナでも菓子でも欲しがりました。そして誰もが喜びを持って、彼の頼みごとを何でも叶えてあげました。

 彼はときどき他人の家に行って、こっそりとミルクを飲んだり食物を食べ、食べるものが何もないときはキッチン用具を壊すこともありました。現行犯で捕まえられても、「今回は見逃して! 二度と盗んだりしないから」と愛嬌ある態度で許しを請うため、誰も彼を怒ることはできず、代わりに彼の利口さとその非常に魅力的な様子にただただ驚くばかりでした。

 彼は仲間たちと、両手をあげてハリの御名を唱えながら踊ったりしました。あるとき、宗教的熱気の充満した雰囲気に夢中になったある年老いた教養ある通行人が、ダンスを踊るその少年グループに加わり、ニマイを中心にしたこの即興ダンスは非常に盛り上がり、人々を興奮させました。

 少年は、両親を驚かせるような特徴をもって成長しました。両親は正統派のブラーマナで、母親のサチはカーストの規則を厳守していましたが、少年はわざと規則から外れたことをして母親をからかい、そのことを注意されると、「外側の純粋性などただの妄想だ」と言って母親を怒らせました。お仕置きをしようとする棒を手にした母親から逃げ、ニマイ少年は不浄とされている場所へ行きました。さらには不可触民のチャマールに触れた不潔な身体で「触るよ!」と母を驚かせ、母親は慌てて家の中に隠れることになったのでした。

 また、ある時期から、いくつかの神性な、稀に見る兆候が彼に顕れ始めました。
 少年が悪霊にとり憑かれたのだと信じ始め、村のある年老いた女性に相談をした母親のサチは、悪霊から息子を救うために女神サスティーに捧げる捧げ物を用意して、女神の寺院に持っていきました。
 すると突然、ニマイ自身が母親の前に現れ、激しい空腹を満たすために供物をひったくって逃げました。
 
 彼がまだ五歳の頃、何をしても泣き止まなくなったことがありました。
 何も彼をなだめることができず、ついに彼の欲しがっているものをたずねたとき、彼は「僕はジャガディースとヒラニャが用意した神への供物がほしい!」と言ったのでした。なんという衝撃的な要求であったことか! ちょうど、クリシュナへの供物を用意していた、断食を終えたばかりの信仰深い二人のブラーフマナがいるという情報を、ある人が教えてくれました。

 少年はそれをどうやって知り、なぜそれを求めたのでしょうか?

 これを知って慌てて様子を見にやってた二人のブラーフマナは、不思議なことに、まるでシュリー・クリシュナがニマイ少年の体に宿り、食物を欲しがっているように感じました。
 彼らは供物を運び、バラ・ゴーパーラとしてニマイに食事を捧げました。数年後、このブラーフマナ達は、チャイタニヤの熱心な信者となりました。

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