バカ
私は小さいころ、自分で言うのもなんだけど(笑)、【他人の悪意を感じられない子供】だったんだ。
たとえば嫌味を言われても、いじめられても、わかんなかった。人はみんな善人だと思ってたんだね。はたから見たら、ちょっとしたバカに見えたかもしれない(笑)。
でもその後、この世界で育っていくうちに、自分の心が汚れていくのに応じて、他人の悪意がわかるようになってきた。
いや、わかる、というのは正しくないな。それは正確な観察とは限らないから。他人の悪意を想像するようになってしまった、と言ったほうがいいかもしれない。
その後、ヨーガと出会い、修行を進めるうちに、逆にそういう自分の汚れを落とそうという努力が始まった。
ところで、そういうことを考えていて、ふと思ったんだけど、他人に何かをされたり、言われたりしたとき、それはやっぱり、すべて善意と捉えるほうがいいと思うんだね。
実害がある場合は別だよ。たとえばセールスマンの言葉を全部善意と捉えて無駄な買い物をしてしまうとか(笑)、そういうのはただの無智だから(笑)。
でも少なくともそういう実害がない場合はね、全部善意と捉えたほうがいいよ。
なぜって、簡単だよ。そのほうが幸せだから(笑)。
そして心からすべてを善意と捉えていると、たとえ相手に悪意があってもね、相手がバカ負けする場合もあるんだね(笑)。バカ負けして、悪意も本当に善意に変わってしまうこともある(笑)。本当だよ。
他人の悪意を一生懸命探す人は、自分で自分を地獄に落としているようなもんだ。
他人に悪を見てしまうとき、それは自分の心が汚れているんだと考えたほうがいいかもしれない。なぜなら、この世はただの鏡だから。
だからいつも思いっきりの善意で人に接しよう。そのような人こそ、この地上で楽園を知る人だと思います。
逆に自分が疑われたら? そんなのどうだっていいじゃないか(笑)。過去に人を疑った悪いカルマが浄化されたんだと、それだけだよ(笑)。
善意にあふれた、神聖なるバカになろう(笑)。