稀有なチャンス、そして真理との出会い
安らぎを見つけるための三部作
この「安らぎを見つけるための三部作」のシリーズは、ロンチェンパの作品をもとにしていますが、正確な翻訳というわけではなく、私の独断で、さまざまな付加や削除を行なった上でまとめなおしていますので、ご了承ください。
安らぎを見つけるための三部作
パート1「心」
第一章 稀有なチャンス、そして真理との出会い
完全なる光輝・欠点のない仏陀の本質・純粋な認識力
これらを見失った心に、「自己中心主義」が生じた。
「自己中心主義」から恐怖が生じ
架空の存在の中で、迷子になった。
荒れ狂う感情とカルマの砂漠の中で
疲弊し切った衆生の心が
今日こそ、安らぎと幸福を見つけられますように。
友よ。人間の生という稀な機会を得、貴重な人間の身体を得、そして真理と巡り合えたこと――
この六道輪廻の中で、これだけの条件がそろうのは、非常に難しいことです。
それは例えるなら、盲人が道でつまずいて、偶然、貴重な宝物を見つけたかのようなものです。
繁栄(功徳を積み、悪を滅することによる幸福)と至福(解脱)を得るためにこそ、この身体を使わなければなりません。
この貴重な人間の生を得たこと、そして真理と巡り合ったことの意味は何でしょうか。
それは、以下の八つの無暇の条件を乗り越えたということです。
私の心は、地獄に生まれませんでした。
餓鬼にも生まれませんでした。
そして動物にも生まれず、
阿修羅にも生まれず、
また長寿の神々にも生まれませんでした。
また、野蛮人にも生まれませんでした。
そして誤った見解を持つこともなく、
ブッダの教えがない世界に生まれるということもありませんでした。
そして私の恵まれた生を完全なものにしている、次の五つの直接的な条件があります。
私は人間として生まれました。
私は中心的な場所に生まれました。
私は五感を満足に所有しています。
私は邪悪な行為に手を染めないでいられます。
そして私は精神的な生活を送ることに、信を持っています。
さらに、次の五つの間接的な条件があります。
仏陀があらわれたこと
仏陀が教えを説かれたこと
仏陀の教えが現在まで伝えられていること
自らがその教えにしたがおうとしたこと
師が慈悲深く指導してくれること
これらが、真理と巡り合う稀な機会を成立させる、18の条件です。
今、自分がこれらの条件を得ているのだと認識したら
この稀有なチャンスを逃さないように、解脱に向かって全力で努力してください。
この貴重な今生の生涯を、もしあなたが有効に使わなかったなら
あなたは来世、「善趣(人間界や天界などの幸福な世界)」という言葉を聞くことさえなくなるでしょう。
そして長い間、悪趣(地獄・動物・餓鬼という三つの苦しみの世界)をさまようことになるでしょう。
あなたは、何が正しく、何が間違っているかを知ることもできず、常に間違った方向へ向かい、
始まりも終わりもない輪廻の中で、さまよい続けることになるでしょう。
あなたは今、幸福への道、そして解脱への道に入る素晴らしき縁をそなえているのですから
今、この善き縁の中にあるうちに
上向の性質の蓄積に、根気強く精進してください。
あなた自身の生き方が、幸福への道となるという事実を認識して
この幻影の世界の向こう側へ向かって、突き進んでください。
もし、自分にはそうする勇気がないというならば、
煩悩と欲求不満で荒れ狂う、終わりのないこの輪廻の海の中で、
貴重な船を持ちながら、何もすることなく、
いつまでも、いったい何をするというのでしょうか?
今すぐ、忍耐の鎧を身につけてください。
そして、心のけがれを浄化して、
けがれのない無垢の叡智による、完全なる光輝の道を歩み始めてください。
そして、どんな障害にも、透明な明るさと完全な識別智を妨げさせないでください。
真理の教えの甘露の雨を集めないなら
輪廻の炎によって苦しめられるでしょう。
しかし、この貴重で清らかな船を有効に使うならば
それは至福と繁栄の基盤となるでしょう。
至福と繁栄と栄光の雲から
真理の大雨、無垢の智慧のさわやかな水が
衆生の純粋な心に降り注ぐでしょう。
したがって、心から喜びを持ちつつ、
人生の真の意味を求めて精進してください。
大海に投げ入れられたくびきの穴に、盲目の亀が偶然首を突っ込むことは、
人間に生まれることに比べたらはるかに簡単であると、天人師(仏陀)は説いています。
人間として生まれ、真理を実践できる条件が整うことの、何と難しいことか!
よって、今日、この瞬間から、あなたはまさに努力をしなければなりません。
人間に生まれた者の中にも、三つのタイプがあります。
第一のタイプの人間は、野蛮人です。
たとえ人間に生まれ、すべての感覚器官を問題なく完備していたとしても、
善悪を理解することなく、常に好ましくない行ないをして生きていきます。
たとえ文化的な国に生まれたとしても、彼は野蛮人なのです。
第二のタイプの人間は、
正しい教えと巡り合えないために、善悪について混乱している人々です。
彼らはこの人生における目先の幸福だけを求め、せわしなく生きています。
厚かましく、そしてのんきな彼らは、来世について考えることがありません。
そしてたとえ彼らがブッダの教えを聞いたとしても、
解脱や悟りなどには興味を持つことはないでしょう。
彼らは平凡な存在であり、すぐれた存在とはいえません。
彼らは時々、善なることについて考えることもあります。
しかし彼らの視野のほとんどは、悪によって覆い隠されています。
彼らは単に人間の体を得たというだけの存在であり
自分自身と他者のためになることを何もすることはありません。
彼らは、最悪の人々よりはほんの少し善い、というだけにすぎないのです。
第三のタイプの人間は、「最上の人」と呼ばれます。
彼は、真理の教えを受ける値打ちがあり、
輪廻を超える船となりうる人間です。
彼は、学んだ教えを理解することに専念し、
自己を律して、他の人々のことも助けます。
彼はゆるぎない悟りの山、聖なる教えの旗となります。
彼らは在家の場合もあれば、出家修行者となる場合もあります。
したがって、あなたもこの「最上の人」となってください。
聖なる師から教えを学び、
人生の意味を悟ってください。
真理の教えによって生きてください。
悪業をやめ、
仏陀の教えを理解して、それを守ってください。
もう猶予している時間はありません。
今すぐ、幻影の存在である輪廻の海を越え、
苦しみを超えた、安穏の島へと旅立ってください。
人間として生まれながら、真理の実践をしないことほど、愚かなことはありません。
それはまるで、宝石の島に行って、手ぶらで帰るようなものです。
この貴重なチャンスを無駄にしてはいけません。
常に、心の内側の至福、人生の意味の探究に努力してください。
人生の意味を探究できるかどうかは、求道心の強さによります。
人間として生まれるという貴重なチャンスと
人生の意味を探究したいという求道心は、
相互に依存して存在します。
そして、多くの恵まれた原因と状況が組み合わさったとき、
最も重要なことは、真理を求める求道心を強めることです。
常に死の恐怖が伴う、この生存の無限のサイクルの中では
苦しみと欲求不満が、雨のように注ぎます。
それは、人間として生まれた貴重なチャンスや、真理との出会いを軽んじたことの結果です。
したがって、高い世界への転生と、究極の解脱を得るために
人間として生まれ、真理と巡り合うことの難しさについて、しっかりと考えてください。
そして強い希求心を持って、昼夜たゆまず努力し続けてください。
正しい師に出会えることは、貴重なことです。
真理の教えを学べること、そしてそれを理解できることは、貴重なことです。
人生を真に意味あるものとできるかどうかは
人間として生まれた貴重なチャンスや、真理との出会いに由来しています。
よって自分に与えられたこの貴重な状況の素晴らしさを何度も何度も考え、喜んでください。
過去において、不死の甘露の境地を得た者も、
大乗の菩薩も、小乗の解脱や悟りを得た者も、
最高の神の境地を得た者たちも、
貴重な人間の身体を得、真理と巡り合ったことから、すべては始まったのです。
したがって、常にこの人間の身体を得、真理と巡り合うことを、あなたの熱望としてください。
原初の智慧の場――そこでは、概念によって認識がゆがめられることなく、真実がありのままに見られます。
人間の身体を得、真理の実践をすることで、その境地へも容易に到達することができるのです。
ヴァジュラヤーナの道における深遠な真理さえ
人間の身体を得、真理の実践をすることによって、最終的に悟られるのです。
大乗の道を歩くにしろ、小乗の道を歩くにしろ、
人間として生まれ、真理と出会うことが、すべての基礎になるのです。
貧困に苦しむ人が、貴重な宝石を見つけたとき
これは夢ではないかと思うことでしょう。
あなたは、まさにそのように、人間として生まれ、真理と出会えたことを驚き、喜ばなければなりません。
それによって、将来における、現世的幸福と、解脱の至福は、達成されるでしょう。
幸福をもたらす甘露のようなこの教えによって
すべての衆生の、この人生に対する無益な執着が、弱められますように。
すべての衆生が、この教えを聞いて、修行者になることを熱望しますように。
そして、荒れ狂う感情とカルマの砂漠の中で
疲弊し切った衆生の心が
今日こそ、安らぎと幸福を見つけられますように。