長所と短所
クンダリニーあるいはトゥモ、あるいはアムリタによってチャクラを浄化していくとき、その人の最もウィークポイント、つまり最も汚れている、詰まっているチャクラというのがある。
詰まっているから、そこにエネルギーを通して浄化しようとしても、なかなか通らない。なかなか通らないから、なかなか先に進めない。そしてそのチャクラがあらわすマイナスの要素がいろいろと出てきたり、実際に物理的にそのチャクラの部位が痛んで苦しんだりする。
そうして中途半端に修行を進めていると、そのチャクラはずっとウィークポイントとして残り、その人の修行自体、そこから上には進まなくなるのだが、しっかりと決意と精進と忍耐と正しいやり方でエネルギーを通していくと、いつかはかならずそこも浄化される。
そして浄化された後はどうなるのだろうか? そのチャクラには、そこを浄化するときに使った莫大な量のエネルギーが残り、非常にチャクラが活性化された状態になる。そうして結果的にそのチャクラは、その人にとって最も特徴的な「使える」チャクラとなるのだ。
つまり、「最大の短所」こそが「最大の長所」に変わるのだ。
これはチャクラ以外の修行の要素でも、いや、修行以外でも人生のすべてにおいて、そうだと思う。
なぜなら、長所とか短所とかいわれるものは、実際はそんなに大差はない。
全智者たる仏陀から見れば、今の長所も短所も、どんぐりの背比べみたいなものだ。
しかしどれだけそのポイントに対して集中して努力するかということは、未来において大きな差を生むことになる。
そして短所といわれる部分こそが、最も努力しやすい部分なのだから。
謙虚になり、懸命に真剣に努力すること。それが自己を引き上げ、伸ばしていく。
だから自分の短所を見つけたら、喜べばいい。
「ああ、私はこの部分において、将来において、類稀な長所を持つようになるだろう」と。
もちろん、短所・長所に関わらず、あらゆる面において努力し進化し続けていければそれが一番いいことは間違いない。
しかし人は、短所に関しては卑屈になり努力せず、長所に関しては傲慢になり努力しない。
だからすべては心の持ち方一つだ。
短所を見つけたら喜ぼう。これこそが私の未来の長所だと。
長所を見つけたら喜ぼう。傲慢にならぬように注意して、極限まで長所を伸ばすように努力すれば、よりこの長所は伸び続けるだろうと。
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