yoga school kailas

ピストル

 夢の中で、あるチベット僧が書いた、ゾクチェン系の本を読んだ。その中の内容で、その著者の若い修行時代の経験で、ある村で修行をしていたとき、右手を軽く上げて、いわゆるピストルのような形を作り、「あ、これなんだな」と気づいた。そしてそこにいた、何の変哲もない、普通の百姓などのように思われる村人たちが、それを見て、「そう、それなんだよ」と言って、同じ手のポーズをとったという体験が書かれていた。

 この本の記述は単にそれだけだったのだが、私は夢の中でその一節を読んでとても感動し、涙が出た。
 そして私はその本を何度も読んでいるらしく、いつもその場面で感動していた。そこで私は、なぜかいつもその場面で感動して涙が出るんだという話を、夢の中でミクシイに書いた笑。

 実際、この手のポーズがどうかは別にして、言葉と観念に覆い尽くされたこのマトリックスから抜け出る鍵は、どこに隠されているかわからない。しかし何度も抜け出している者は、「それ」の感覚を何となく分かっている。そのフィーリングの琴線に触れる感じで、夢の中の私は泣いていたのかも知れない。

 そしてインドやチベットでグルという存在が普通の先生という意味とは別格に尊重されるのは、彼が弟子に知識を与えるのではなく、その鍵を与える、あるいはその鍵のありかへと導く存在であるからなのだろう。

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