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M――使徒にしてエヴァンジェリスト(1)

M――使徒にしてエヴァンジェリスト  
続・ラーマクリシュナの福音

「ミヒジャでのM」

 春、季節の王が地上に訪れていた。蜂たちは忙しく花から蜜を集めている。この幸福なときに、「シュリー・シュリー・ラーマクリシュナの言葉の甘露」の発掘者であるMは、ビノイや他の数名のブラフマチャーリーたちとともにミヒジャに滞在している。信者たちという名の蜂は、この甘露の泉を発見したのだ。それが彼らがたびたびやって来る理由である。
 Mの茅葺小屋は、寂しい人里離れた場所に建っている。すぐ近くには、ブラフマチャーリーたちが生活している一棟のレンガ造りの家がある。小屋には二つの部屋がある――それらの一つにはMが生活していて、他方はときどきは人も生活できる貯蔵所である。ベランダは東に面していて、両端に二つの小さい部屋がある――一方はキッチンで、他方は沐浴のときにMによってよく使用されている。信者たちがここを訪れた際には、レンガ造りの家に滞在する。
 小屋は東に面している。バラのベッドや他の花々やマンゴーのような果樹園が南へ向かって伸びている。小屋の前にはジャンブ樹が立っている。その周りには円形のレンガの台がある。ここには、Mとバクタたちがバーガヴァタを聞きながら、また語りながら座っている。向こうの北方の野原には、アシュワッタの木がある。その下でMは瞑想し、神聖なドゥニ(火)を燃やして、ときどき彼はバクタたちとともに神の深い瞑想に没頭している。
 人里離れた場所での休息と瞑想が、今Mがミヒジャに来ている二つの目的である。この機会は、数名の求道者の霊的な生活の基礎をしっかりと確立するためにもたらされた。ドクター・カールティカ・チャンドラ・バクシのような信者たちは、ときどきコルカタからやってきて、一日か二日を神の瞑想のうちに過ごして帰っていく。スワミ・ヴィシュワーナンダやスワミ・ラーガヴァーナンダのようなベルル・マトの僧たちもまた、このアシュラムに出入りしている。
 シュリー・ラーマクリシュナは、バクタはときどきは孤独のうちに暮らすべきであると説かれた。この師の教訓はMの生涯を通じて確認された。これは、今Mがミヒジャに来ている別の理由である。またさらに別の理由もある。短い間に、シュリー・ラーマクリシュナの霊性の家族の指導者たちの数人が次々と去っていかれたのだ。まず最初に姿を消したのはシュリー・ラーマクリシュナの驚くべき弟子である偉大なヨーギー、スワミ・アドブターナンダであった。それから、宇宙の母でありラーマクリシュナ僧院の生命の泉であるホーリーマザーが昇天された。その少しあと、再びラーマクリシュナ世界の二人の指導者が倒れた。――一人は、シュリー・ラーマクリシュナの霊性の息子であり霊性の真の鋳型であるスワミ・ブラフマーナンダで、もう一人は、タパスの化身、シュカデーヴァのようなスワミ・トゥリヤーナンダであった。
 ホーリーマザーの死後、70歳のMは、あたかも孤児のように暮らしている。沈痛な心持ちで、彼はときどき、このようにひとり言を言っていた。

「マザーは去ってしまわれた。――彼女は35年もの長い間、私たちを保護してくださったのだ。5年間だけ、私たちはシュリー・ラーマクリシュナの恵み深い保護を得ていた。しかし、ホーリーマザーはこの35年もの間、私たちを育ててくださったのだよ。ああ! 彼女もまた行ってしまわれた。」

 それらの悲しい出来事の連続は、まるでMの体と心を打ち砕いてしまったかのようであった。そのため、休息が必要であったのだ。それだから、彼はミヒジャへとやってきたのである。
 ヴィディヤーピートがわずかな資力の数名のサードゥおよびブラフマチャーリーたちによってミヒジャで設立されたのはちょうどそのときであった。Mは、この施設の長であるブラフマチャーリー、ヴィディヤー・チャイタニヤ(のちのスワミ・サドバーヴァーナンダ)のとても愛情のこもった丁重な招待でここにやってきた。この少年教育施設は、ベテランの教育者であるMの寛大な配慮と保護のもとで成長してきた。ヴィディヤーピートは最初2、3人の少年たちと共に始められた。彼らブラフマチャーリーたちは自分たちだけで、少年たちの教師、友人、そして母親という役割のすべてを担っていたのである。木陰の下で、生徒は緑の芝生にしゃがんで授業を受け、ほとんど崩れかかった廃屋をサードゥと共有した。シュリー・ラーマクリシュナの内輪の直弟子であるMは最初にヴィディヤーピートでいくらかの時間を過ごした。これは、今は有名なデーオーガルのラーマクリシュナ・ミッション・ヴィディヤーピートの基礎である。
 この時期のブラフマチャーリーたちとバクタたちとMの生活を見ることによって、人は――まるでブリグ、ピップラーダまたはアールニが、あたかも新しい服装で降りてきたかのような――神聖なリシとそれらの弟子が住んでおられたヴェーダの時代の古代のタポーヴァン(苦行の森)を思い起こさせられるのである。信者たちの中の一部の人々は、幼年期からタポーヴァンでリシたちと共に生きるという願望を育んでいる。
 このアシュラムの中に召使いはいない。古代の森林大学の理想に従って、彼らは一切の家事を自分たち自身で行なっている。現代の文明化した生活の便利な設備のうちのどれも――料理用の陶製の深鍋、食事のための森林の緑のサラノキの葉のプレート、ベッドのための床に敷かれた世間なみの毛布も、ここではほとんど見ることができないのだ。しかし、Mが老年であることを考慮に入れ、少しの家庭用品と木製のベッドがある。また食物については、シンプルな豆とご飯があるが、Mは朝には牛乳とご飯、夜には牛乳とパンをとっている。煮られた米と一つまみの塩をかけたムングダルと砕いたターメリックの一かけらが、ブラフマチャーリーたちの食事のすべてである。また彼らは皆、スプーン一杯の雌牛のギーもとっている。バクタたちには贈り物としてコルカタからさまざまな食物の小包が送られてきていた。しかしMはブラフマチャーリーたちに近隣の家でそれらを分配してもらった。また貧しいサンタルの子供たちにも分け与えた。
 Mはこう言っている。

「わたしたちがここにやってきたのは、タパシャー(苦行)のためだけだ。タパシャーは、単純化された生活なくしては続けることができない。必需品が少なければ少ないほど、至福は増大する。簡素な生活、そして高邁な思考――これがバーラタのリシたちの古代の理想なのだ。無数の障害や困難にもかかわらず、インドの文明が昂然と在り続けることができたのは、この理想のためなのだよ。」

 この隠遁所では、時間を確認するための時計を置いておくことも許されなかった。
 Mはこう言っている。

「昔の時代では、リシたちはよく太陽の助けを借りて日々の予定を整え、夜には北極星が時計の目的を果たしたのだよ。」

 ここでは、上りと下りの列車が、時計の目的に役立っている。

 Mはアシュラムの日々の日課を考案した。彼はこう言っている。

「できるだけ早く沐浴と食事を終えて、神の瞑想に専念しなさい。」

 午前11時と夜は9時までに食事などを済ませ、Mはいつも決まった時間にブラフマチャーリーたちにウパニシャッド、ギーター、チャンディ、バーガヴァタおよびコタムリトを説き、毎日朝と午後に、彼らを遠く人里離れた荒野へ送って、ひとりで瞑想させた。ここで生活するバクタたちの一部の者は、あたかも外界の存在を忘れてしまったかのようであった。彼らは常に至福の世界に住んでいた。彼らの心は常により高い平原で、それ自身のリズムの中で自由に放浪している。これはリシたちの神聖な集まりがもたらした結果である。

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