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パトゥル・リンポチェの生涯(4)

 彼はシュクチェン僧院を訪れ、その後、ドドゥプチェン1世の公式の住居があったシュクチェン・タゴに長期にわたってとどまりました。そこはドドゥプチェンが半世紀ほど前に放棄したにもかかわらず、まだ隠遁所としての役割を果たしていました。ここで彼はカンギュルを3度読誦し、数多くのスートラを暗記しました。

 その後、彼はアリ・ナクで木の下で長らく生活しました。そこは密林の真ん中にある高く開けた平原でした。そこを訪れる者は誰もおらず、ときおり目にする唯一の者は、ド河を半マイルほど横切ってド谷の反対側を行く旅人だけでした。アリの森はシュクチェン・タゴと現在のドドゥプチェン僧院の真ん中、ド河の堤にありました。

 はじめ、パトゥルとニョシュル・ルントク――彼はパトゥルのそばで暮らし、28年間彼と共に学びました――は、6ヶ月間アリの森から出ることなくとどまり続けました。食料として小袋に入ったツァンパ、背に数枚の衣類、2冊の本だけが彼らの所持品でした。
 日中、二人は一緒に少しツァンパを食べました。その後、ツァンパの袋を木に結びつけ、次の日までそのままにしておきました。そしてパトゥルは入菩提行論の中の二行をルントクに教えました。それから、彼の唯一の衣服である白い古着を着たまま、杖を手にし、瞑想修行として「ハ! ハ! ハ!」と大声を発しながら森の中に姿を消しました。
 翌日、彼らは再び顔を合わせ、同様のことを繰り返すのでした。

 間もなく、数多くの弟子たちがアリの森にやって来ました。パトゥルはセムニ・ンガルソ、ヨンテン・ゾ、そして他の多くの教えを教え始めました。パトゥル・リンポチェは教えを与え、そして弟子たちはそれを瞑想しました。彼らは身の周りのことにほとんど関心を向けず、非常にわずかな食事だけを摂りました。そこは密林であるにもかかわらず、食用に適した植物は生えていませんでした。
 彼らが最初に新しい茶葉で淹れたお茶は濃く美味でしたが、後になるほど古い茶葉に水が足され、ほとんど味も色もないものになりました。彼らはそのような違った濃さのお茶を冗談めかして、“三つのカーヤのお茶”と呼んでいました。濃いものは巧妙なニルマーナカーヤのお茶、薄いものはシンプルなサンボーガカーヤのお茶、そして味のないものは空性のダルマカーヤというふうに。
 パトゥルは、財産や豊富な食料、良い衣服、快適な住まい、ならびに称賛や名声といったような望ましい条件は、修行の進歩における助けになるどころか障害であると見なしていました。彼はこう記しています。

「苦しみは好ましきものであり、幸福は悪しきものである。
 幸福は、五毒の炎を燃え上がらせる。
 苦しみは、過去に積んだ悪しきカルマを使い果たす。
 苦しみは、グルの恩寵である。
 批判されることは好ましきことであり、称賛されることは悪しきことである。
 もし称賛されたなら、傲慢さが増大し、
 もし批判されたなら、過ちが明らかになる。
 貧しさは好ましきことであり、多くの財産を所有することは悪しきことである。
 財産を所有することは、さらに稼ぎ、守るという大いなる苦しみを生じさせる。
 貧しさは、神聖なダルマへの献身と成就へと導く。」
 

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