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パトゥル・リンポチェの生涯(5)

 その後、パトゥルはジョナン研究の偉大なる中心地ザンタン僧院に向かいました。そこで彼はクンキェン・ドルポの解釈に基づいたウッタラタントラの講義を行ないました。ミニャクで、彼は偉大なゲルク派の学者ダ・ゲシェ・トゥルティムと会い、パトゥルの学識は彼を驚かせました。ギャパク僧院では、彼はめったに授けることのない完全なロンチェン・ニンティクのイニシエーションと教えを授けました。ゴロクでは、彼は乱暴な盗賊や残酷な猟師たちを彼の存在と論理的な言葉の力によって従順にさせました。マルングでは、彼は人々に慈悲の言葉“オーム・マニ・パドメー・フーム”を繰り返し唱えるよう指導しました。人々はそれを唱える方法さえも知らなかったでした。その後、彼はド谷のアリの森に戻り、しばらくの間とどまりました。

 1856/57年、パトゥルは、ド・キェンツェーがタルセドからゴロクのユツェ山脈に到着したという知らせを耳にしました。彼は何日も旅をしてそこへ向かい、ド・キェンツェーに会いました。パトゥルはド・キェンツェーにロンチェン・ニンティクのユムカ・デチェン・ギェルモのイニシエーションを授けてくれるよう頼みました。それに答えてド・キェンツェーは、
「もう何年ものあいだ、私はそれを秘密にしてきましたが、今それをあなたに授けよう。」
と言いました。大きな喜びとともに彼はそれをパトゥルに授けました。ド・キェンツェーが行なった多くの予言のなかには、パトゥルが80歳まで生きるというものがありました。それから、ド・キェンツェー、ドドゥプチェン2世、そしてパトゥルは、共にサンの儀式を執り行い、それは兄弟として転生するサインとなりました。パトゥルはド谷に戻ると、多くの場所で入菩提行論の教えを説きました。

 ドドゥプチェンの主要な滞在地であるド谷とセル谷の周辺で10年ほど暮らした後、パトゥルはゾクチェン僧院に戻りました。パドメー・タン、ナクチュン隠遁所、ならびにゾクチェン僧院のシュリーシンハ大学で、長年にわたって彼は、入菩提行論、アビサマヤーランカーラ、マディヤマカーヴァターラ、グヒャガルバ・マーヤーラージャ、ヨンテン・ゾ、ドムスム・ナムゲ、ならびに他の多くの経典を教えました。彼はカトクを巡礼し、入菩提行論を説きました。また彼はゾクチェン僧院でテルトン・チョギュル・リンパとその伝授を受け取りました。

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