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パトゥル・リンポチェの生涯(3)

 パトゥルが20歳の頃に、パルゲ・ランタンの主要な長官パルゲ・コンチョクが亡くなり、パトゥルはパルゲの住居を閉め、放浪修行者としての生活を始めました。

 ゾクチェン僧院で、彼はニンティク・ヤブシとロンチェン・ニンティクの伝授をゾクチェン・リンポチェとシェンペン・タイェから受け取りました。それから彼はゾクチェン僧院に近いシンジェ洞窟やツェリン洞窟で長期にわたって独居し、瞑想修行を行いました。そこは、かつてドドゥプチェンが何年にもわたる独居修行を行なった場所でした。

 1851年頃、偉大な学者ギャワ・ド・ンガク・ギャツォ――彼はパトゥルとシャプカル・ツォクトゥク・ラントル(1781-1851)両方の弟子でした――から、シャプカルの感動的な人生の逸話を耳にしました。彼がシャプカルに会いにゴロクへ向かっている途中、シャプカルの死の悲しい知らせを聞きました。彼は引き返してドドゥプチェンの主な滞在地ヤルルン・ペマコに行きました。ヤルルンで、彼はドドゥプチェンの後見人としてそこに住み、通年45日間のグヒャガルバタントラ・マーヤージャーラ・タントラの教えと修行を開始していたギャルセー・シェンペン・タイェ(1800-?)と行動を共にしました。パトゥルはギャルセーからグヒャガルバタントラの教えを受け取り、最初の年、教えのアシスタントを務めました。それからさらに2年にわたってその通年の講座を主催しました。

 彼はセル、ド、マル、そしてツィカの谷々を巡り、何度も入菩提行論の教えを説き、オーム・マニ・パドメ・フームのマントラを唱えるよう人びとに指導しました。これらの地域で、彼はラマたちが儀式の際に肉を捧げる慣習を廃止することに大いに成功しました。彼は盗みや狩猟に対する規則を定めました。また彼は仏教を僧侶または僧院やゴンパといった狭い枠からに解放し、人びとの生活やすべての家庭に浸透させました。

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