修習が私を作る
われわれがあるところの一切のものは、習慣(修習)の結果である。
そのことは、われわれに慰めを与える。なぜなら、習慣に過ぎないわれわれはいつでも、それを作ることも壊すこともできるのだから。
サンスカーラ(行。心の奥の潜在印象)は、われわれの心を通り過ぎるこれらの振動によって残される。それらの一つ一つが、それの結果を残していくのだ。
われわれの性格は、これらの印の総計であり、その中で優位を占める波動が、それの傾向となる。もし善が優位であれば人は善良となり、悪が優勢なら悪くなり、もし喜びに満ちていれば、幸福になるのだ。
悪い習慣の唯一の矯正法は、反対の習慣である。あとに印象を残したすべての悪い習慣は、善い習慣によって制御されるべきである。
善い行ないをし続け、絶えず清らかな思いを思え。
それが、卑しい印象をおさえつける唯一の方法である。
誰であれ、決して見込みがないなどと言ってはいけない。
彼はただひとつの性格、一束の習慣をあらわしているだけであり、それらの習慣は新しいものと変えることができるのだから。
性格は、繰り返された習慣であり、繰り返された習慣のみが、性格を変えることができるのである。
――ヴィヴェーカーナンダ
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