yoga school kailas

解説「ラーマクリシュナの生涯」第一回(3)

【本文】

 ベンガル州のフーグリ地方の北西部がバンクラとメディニプルの二地域に接している辺りからあまり遠くない所に、一つの三角形を作って三つの村が密集している。土地の人々には、シュリープル、カマルプクルおよびムクンダプルという三つの名を持つ別々の村として知られているけれども、それらは旅人たちには一つの村と見えるほど互いにくっ付いている。周りの村の人々はこの三つを一緒にしてカマルプクルと呼んだ。われわれが話そうとしているその時代には、カマルプクルは、ブルドワンのマハーラージャのグルの家族に属する、地代無料の領地の一部であった。この家族の子孫たちであるゴーピーラル・ゴースワミー、スクラール・ゴースワミー、およびその他がそこに住んでいた。

 一八六七年にベンガルの農村地帯がマラリアの流行に食い荒らされるまで、あの辺に漂っていた平和的な雰囲気は、言葉に表わしようがない。広々とした田畑に囲まれて、フーグリ地方のこれらの小村は、広大な緑の海に囲まれた島々のように見えた。人々はおもに戸外の生活をしており、滋味豊かで食物に事欠かなかったから、健康で力強く、精神は明るく、満足していた。村々は人口が多く、村人たちは農耕だけではなく、さまざまな小工業にも精を出していた。そういうわけで、カマルプクルは今もなお、あの地方ではジャレビやナバトなどのお菓子で有名であり、人々は今でも黒檀の水ギセルを作り、それをカルカッタで売ったりして、それ相応の生活をしている。一頃は、糸、ドーティ、タオルというような手工芸品の産出で有名であった。
 今でも、毎週火曜日と土曜日には村で市が開かれ、人々は周囲の村々からそこへ、農産物と一緒に、糸、ドーティ、タオル、鍋釜、水差し、籠、さまざまな敷物などを持ってきて売りに出す。
 数々の祭礼も、今でも行なわれている。チャイットラ月には、カマルプクルにはシヴァを称えるガージャンの歌とともに女神マナサーを称える歌が響きわたる。またヴァイシェーク月かジャイシュタ月には、ハリを称える歌が三日間、途切れることなく響きわたる。

 はい。まあ、この辺は簡単なラーマクリシュナの出身地カマルクプルの描写ですけども。ここで面白いのは、「カマルプクルは今もなお、あの地方ではジャレビやナバトなどのお菓子で有名であり」――ジャレビって、ラーマクリシュナが大好物だっていう、あのオレンジ色の油で揚げたやつね。うん。あれはもともとこの村で有名だったんですね(笑)。だからおそらくラーマクリシュナも小さいころからたくさん食べて大好きになったのかもしれないね。
 はい。で、こういう感じで、まあ非常になんていうか――ここでは「マラリアの流行に食い荒らされるまで」って書いてあるけど、非常に平和的な素晴らしい場所だったって書いてあるね。
 わたしはこのカマルクプルには行ったことないんですけど、まあ聞くところによると、ホーリーマザーの出身地であるジャイラームバーティっていうところがあって、そこがなんかすごい素晴らしいらしいんだね。うん。そこもわたしは行ったことないけども、非常に雰囲気とかが、まあいいらしくて。だいたいなんか、ラーマクリシュナ関係の人たちは、そこを薦めるみたいだね。
 はい。で、このカマルクプルも、まあ「マラリアの流行に食い荒らされるまで」って書いてあるから、そのあとはちょっと変わっちゃったかもしれないけども、非常に平和的な素晴らしいインドの田舎の雰囲気を保っていましたと。

【本文】

 カマルプクルの西方二マイルに、サートベーレー、ナーラーヤンプル、デーレーという、隣り合った三つの村がある。このデーレーの村に、適度の資産を持つ、信仰深いブラーフマナの一家が住んでいた。彼らは高貴な家柄で、敬虔なヒンドゥー教徒の習慣を遵守し、シュリーラーマを礼拝していた。
 この家のシュリー・マニクラム・チョットパッダエは、三人の息子と一人の娘を持っていた。この中で長男のクディラムは、おそらく一七七五年に生まれた。
 クディラムは、彼の家で代々礼拝されてきたシュリーラーマを深く信仰していた。彼は、他の日課とともにサンディヤーを行なうのが習慣であった。その後で、シュリーラーマに供養する花を集めた。彼はシュードラ(奴隷階級)の者からは決して贈り物を受け取らなかった。また、自分の娘を嫁にやって金を受け取ったブラーフマナが触れた水は飲まなかった。彼はヒンドゥー教の慣習を厳格に守ったために、村人から非常に愛され、尊敬された。

 父親の死によって、クディラムは先祖の財産の管理を受け継いだ。最初に結婚した妻は幼いうちに亡くなってしまったので、二十五歳くらいのときに再婚した。花嫁の名はチャンドラマニといい、家の中では簡単にチャンドラ(チョンドロ)と呼ばれた。
 二人の長男のラムクマルは一八〇五年に生まれたといわれる。長女カッタヨニが五年後に生まれ、一八二六年には次男のラメシュワルが生まれた。

 村の地主ラーマーナンダ・ラーイは、あるとき、デーレーにいるある男を嫌い、彼を相手取って虚偽の訴訟を起こした。誰か評判の良い人物が証人として必要だったので、彼は人々から愛されているクディラムに、法廷で自分に有利な虚偽の証言をしてくれるように頼んだ。
 廉直なクディラムは、訴訟とか法廷とかいう類いのものに関わることを恐れていて、たとえ正当な理由があっても、誰かに訴訟を起こすなどということは考えたこともなかった。ましてや虚偽の証言を行なうなどということは、彼にはできるはずがなかった。もし偽証をしなければ今度は自分がラーマーナンダの激しい憎悪を買うことは分かっていたが、彼はラーマーナンダの頼みを突っぱねた。
 その結果、予想どおりラーマーナンダは、今度はクディラムを相手にした虚偽の陳述書を法廷に持ち出して裁判に勝ち、クディラムの親譲りの財産をすべて奪い取ってしまった。こうしてクディラムはすべての財産を失ってしまい、村人たちは彼に深く同情したが、ラーマーナンダを恐れて、誰もあえて彼を助けようとはしなかった。
 しかしこの災難は、クディラムの「正しく生きよう」という思いに、少しも影響を与えなかった。そして彼はこの先祖伝来の村に、永遠に別れを告げたのである。

 カマルプクルのスクラール・ゴースワミーは、クディラムと同じような気質の、古い親友だった。彼はクディラムの不幸を聞いて深く心を動かされ、自分の屋敷内にある二、三の藁葺き小屋を空けて、そこに来ていつまでも住むようにと、クディラムを招いた。クディラムはこの招きを主の不可思議なお遊び(リーラー)と見て受け入れ、感謝の気持ちに満たされてカマルプクルに行き、そこに定住した。

 はい。カマルクプルよりちょっと離れた場所にあるデーレーという村に、クディラムっていう人がいましたと。このクディラムこそ、まあこのラーマクリシュナのお父さんになる人なわけですけども。このクディラムは、ここに書いてあるように、家の財産を受け継ぎ――まあつまり最初は非常にお金持ちだったわけですね。お金持ちの家で、その財産を受け継いだお金持ちの人でしたと。で、シュリーラーマ、ラーマ様を礼拝していましたと。そして非常に厳格にヒンドゥーのさまざまな慣習を守る人で、みんなから尊敬されていましたと。
 はい。そして最初に結婚した妻は亡くなってしまったので、二十五歳ぐらいのころにチャンドラマニっていう女性と結婚しましたと。まあ、このチャンドラマニこそがラーマクリシュナのお母さんになる人ですけども。
 はい。そして、まあある時期までは、このラーマクリシュナのお父さんとお母さんは、デーレーという村で、財産にも恵まれ、そしてヒンドゥーのしきたりを厳格に守りながら、みんなから尊敬されて暮らしてたんだけども、この村の地主ラーマーナンダ・ラーイという、まあちょっと、あまりよくない地主がいて、この地主がある男を嫌って、彼を相手取って虚偽の訴訟を起こしたと。ひどいことするね、そのようなある人物を陥れるための訴訟に証人としてみんなから評判がいい人物が必要だったので、みんなから愛されてるクディラムに、まあこの地主が、つまり嘘の証言をしてくれと依頼しましたと。で、このクディラムは、そもそも訴訟とか法廷自体に関わることを恐れていたと。
 まあつまり――これはさ、もちろん現代においてはちょっと社会も違ってきてるから、別にここにいるみんなに、何があっても決して裁判を起こすなとは言わないよ。うん。なんかあってしょうがない場合はしょうがないかもしれないけど、でも考え方としてはですよ、考え方としては――つまり一切は神の愛であって、あるいは、まあ言い方を変えればカルマであって。それは仏典でもよくそういう、まあメッセージっていうかな、例えばお釈迦様の過去世物語とかにそういうメッセージあるんですけどね。つまり、訴訟とかをやめさせるみたいな話とかよくあるわけだけど。つまり神の意思によって、あるいはカルマによっていろんなことが起きると。で、それを人間の都合によって、あるいは人間のそのときそのときの、なんていうかな、価値基準によって、誰かをですよ、罪人扱いして断罪する作業っていうのは、そんなことやっちゃいけないと。
 まあ、これはイエス・キリストもね、何度もね、出てきてる話だけど、あるけがれたことをなした女性をみんなが責めていたら、キリストがそこにやってきて、「いいでしょう」と。「では、この中で生まれてから一度も罪を犯したことのない人がいたら、手を挙げてください」と。「その人だけが、彼女を責める権利があります」と。そしたら誰も手を挙げなかったと。つまり、われわれはいろんなかたちで――それは法律に触れようが触れまいが、まあもっと大いなる、今言ったサナートダルマの見地からみたら、みんながいろんな罪を犯してきてる。そのわれわれが他者の、ね、ちょっとした、まあ法律に触れたとか、あるいは現代の慣習――まあ例えば現代のネットとかでもそうですよね。いろんな、例えば芸能人が不倫したとかさ、どうでもいいじゃないですか。そういうの攻撃するよね(笑)。うん。「あいつはなんなんだ!」みたいな、「消えろ!」みたいな感じで(笑)。

(一同笑)

 攻撃するけど、関係ないじゃんと。しかも、おまえはそんなに聖者なのかと。みんな多くの罪を抱えてる。そしてもちろん真理に巡り合うことで、ね、それを浄化し、神の御心に百パーセント叶うように生きようとしなきゃいけないわけだから。だからそこで誰か他人の罪をどうこうとか言って訴訟をするとかね、あるいはまあ自分の利益のために何かそういうのを起こして誰かを罪人として断罪するとかさ、そんなのはもうあってはならならないことであってね。
 ただ繰り返すけど、現代の場合、システム上必要な場合とか、まあしょうがないかもしれないですよ。しかしこのクディラムは、そういうのを非常に、なんていうかな、恐れる性格でしたと。で、ましてやですよ、ましてや嘘の証言なんかできるわけがないですよね。そのような非常に誠実な神への奉仕のバクティの人生を歩んでる人が、そんなことできるわけがない。だから当然断ったわけですね。
 はい。そしたらこのちょっと悪い地主は、まあ、まさに漫画みたいな話だけども、逆恨みして、今度はクディラムを陥れようとしたと。で、クディラムに対して虚偽の訴訟を起こした。で、おそらくクディラムは、なんていうかな、人がいいから、それに対して何も対抗できずに、まあ結果的に先祖から譲られた財産すべて奪われちゃったと。つまり、それをもって一文無しになっちゃったわけだね。
 まあつまり、さっきラーマクリシュナが貧しい家庭に生まれたって言ったけども、実際はほんとはお父さん金持ちだった。ね(笑)。しかしここで、自分の誠実さを貫いたがゆえに一文無しになったと。で、多くの村人たちは彼に同情したけども、その地主を恐れて、誰もね、あえて彼を助けようとはしなかったと。『しかしこの災難は、クディラムの「正しく生きよう」という思いに、少しも影響を与えなかった』と。
 この物語って、もちろん素晴らしい物語ですけど、例えば普通の人がみたら、そうだな、まあ、「おれがクディラムだったら、すごく損したな」と。「あー、不幸だったな」って思うっていう人が多いかもしれない。うん。だってもともと大金持ちだったんだよ。大金持ちだったのが、なんか変な地主に因縁つけられて、で、自分の誠実さを貫いたら全部持ってかれたと。リアルに考えたらですよ、リアルに現代だったら、例えばね、どれぐらいの大金持ちかは分かんないけども、まあ例えば十億ぐらいあったとして、資産十億あったのを、誠実さを貫いたら悪い地主に全部持ってかれちゃったと。損をしたって考えるかもしれない。でもこういう物語っていうのはそうじゃなくて、いいですか、例えばだけどね、このシチュエーション、つまりもともと大金持ちであったと。大金持ちであって、そこで神の教えと反する不誠実な、つまり嘘の訴訟をしろという要求を受けたと。で、ここで選択がありますよね。地主の言うこと聞くのか聞かないのか。つまり地主だから力があるから逆らわない方がいいって考えるかもしれない。逆らったら何されるか分かんない。つまりまさに自分もいろいろ奪われるかもしれない。で、この選択の中で彼は、クディラムは、例え一文無しになろうとも、誠実さを貫く道を選んだわけですね。で、神の愛でお金が戻ってきました、とかじゃなくて、ほんとに一文無しになった。でもこのシチュエーションって、もう一回言うけども、素晴らしいシチュエーションなんだね。うん。
 繰り返すけど、誠実さを貫いたがゆえに一文無しになりましたと。まあ言い換えれば、一文無しになろうが誠実さを貫いたと。これ、素晴らしいシチュエーションでしょ。で、これ、つまり逆に考えると、このシチュエーションが起きるにはですよ、まず最初に財産は必要だった。うん。つまり何を言いたいかっていうと、このクディラムが、まあ彼の素晴らしい誠実さの表われとして、あるいは後世に伝え――後世の人にメッセージとして、このような素晴らしい、全財産を失おうが誠実さを貫いたっていう一つの物語が完結するには、その前段階で、財産が必要だった。つまり言い換えれば、この財産はそのために与えられたと言ってもいい。
 でもそれが分からないと、損したって考える。それは大変な間違いであって、繰り返すけど、そもそもその財産は、高々世俗のいろんなものを楽しむために与えられたわけじゃなくて――この場合はですよ、この場合は、そのような財産をふいにしても誠実さを貫くっていう条件設定のために与えられただけであると。こういう考え方ができると、今のこのような分かりやすい例だけじゃなく、人生の中で――つまり皆さん、人生の中でいろいろ考えることあると思うんだね。「損した」とか「こうすれば良かった」とか。つまり皆さんが真理を実践してるんだけども、いろんな不当な目にあったりすると。そうすると「チェッ」とか思ったりとか(笑)、なんか「いやー、なんか修行だからこうしたけど、やっぱこうしとけばよかったかな」とか、なんかいろいろ出るかもしれない。それは全部間違いであると。うん。そのような前提としての条件設定自体が、皆さんが真理の実践をしっかり貫いて、で、それによって、その誠実さの物語を完結するために与えられてるもんなんだと。うん。だから決してそういう、一時的なっていうかな、タイムスパンの短い考え方をしてはいけない。
 これはつまり財産だけじゃなくていろんなことが考えられるよね。皆さんもちろんそういうことを経験したことあるかもしれない。つまり、教えを貫いたら世俗的な意味ではちょっとマイナスがあったとかね。うん。だからそこに引っかかってはいけない。繰り返すけど、それは貫いたからマイナスになったんじゃないんですよ。うん。その素晴らしいマイナスになろうが貫くっていう物語、経験を確定させるために条件設定がされてただけなんだと。そう考えた方がいい。そうでないと、この非常に短いタイムスパンの中の損得勘定に頭を奪われちゃうと、大いなる魂の利益を逆に逃してしまうことになる。
 これも前から言ってるけど、例えば仏典とかでも、なんかそういうのは結構、極端なぐらい説かれてていて。例えば、現代人は受け入れがたいかもしれないけど……お金持ちで、そしてお釈迦様の信者になった人、でもその人がケチであんまり布施しなかったと。うん。そしたらその人は低い世界に落ちるっていうんだね。一見変な話でしょ。布施したら高い世界に行くのはそれは分かるかもしれないけど。布施しないっていうのは別に悪業積んでるわけじゃないから。うん。でも布施しないことによって低い世界に落ちるっていうんだね。
 つまり、お釈迦様のような存在と同じ時代に生まれるカルマがあって、で、お金持ちとして生まれたってことは、それ、絶対布施のためでしょと。ね(笑)。つまり、その布施の対象があること自体が素晴らしいことであって。うん。つまりその布施は、本来その魂――まあ、これはさ、もちろん一つの類推ですけども――その魂は過去世でそういうことを懇願したのかもしれない。「ああ、わたしは貧しいけども、来世、ぜひ大金持ちに生まれて、多くの布施を聖者にしたいものだ」って思ったのかもしれない。その懇願どおりに、神が「よし、じゃあ望みどおり、お布施をさせてあげよう」っていって、次の生で財産を与えたのかもしれない。でも彼は魂ではそれはなんとなく気付いているけども、今生の頭がまだ無智だから、その布施のために与えられた財産に執着しちゃって、で、「お釈迦様のことは尊敬するけど、いや、布施はしませんね」みたいな感じになったのかもね(笑)。

(一同笑)

 この場合、つまりもともとのその強烈な、まあ、なんていうかな、使命というか、与えられた本来の、聖なる光の道へのアプローチを、自分が拒否したことになるから。貪りによってね。うん。もともとそういういい縁とかカルマなかったら、逆にそうならないんだけど。うん。もともとがそれが、お釈迦様への布施のための財産だったっていうことを気付かずに、貪りのために使ってしまうことによって、その強烈な光の道と反する貪りによって、まあ低い世界に落ちてしまうと。だからこの辺も――今のは一つの分かりやすい例ですけども、繰り返すよ――決して短いタイムスパンや、あるいは損得の感覚で物事を捉えてはいけないし、自分の今与えられた条件を捉えてはいけないと。今与えられてるのはすべてが、まあ神の道、バクティの道、あるいは菩薩の道における、自分の使命とか、あるいは成長のためなんだと。そのためにいろんなものを与えられたり奪われてたりしてるんだと。
 はい。じゃあちょっと話を戻しますが――そのようにして、結構資産家だったのに一文無しになっちゃったと。で、古い親友のスクラール・ゴースワミーっていう人がカマルクプルに住んでいて、彼がそのことを聞いて、深く心を動かされ、自分の屋敷内にある二、三の藁葺き小屋を空けて、そこに来ていつまでも住みなさいと。この人はだから、とてもいい人だったわけだね。誠実さを貫いたがゆえに無一文になっちゃったこのクディラム一家を、「うちに藁葺き小屋があるから、そこに住んでいいよ」って言って、まあ呼び寄せたってわけですね。
 はい。で、ここでクディラムは、それを神の、主の不可思議なお遊びであると見て受け入れ、感謝の気持ち満たされてカマルクプルに行き、で、そこに定住しましたと。はい。これが、このラーマクリシュナの両親と兄や姉がカマルクプルに住むようになったいきさつですね。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする