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深く潜りたまえ

 近頃、多くの人々が、国家や人類への奉仕に自分の生涯をささげるべきであると考えている。この考えは、現代教育の影響で我が国の人々の心をとらえるようになったのだと思う。しかし人は自分自身の人格をつくり上げた後でなければ、他者のためにいかなる善事をなすことも不可能なのである。
 神の中に隠れ家を求め、そして『彼』の恩寵をいただいた者は、決して誤った行動をすることはできない。彼らが生きているというそのことだけで、彼らは人類に善を施す。彼らの言行の一つ一つ、彼らの振舞そのものが、すべての人の幸福の源泉となるのだ。
 シュリー・ラーマクリシュナはよくおっしゃった、「まず柱にしっかりとつかまれ!」と。つまり、まず最初に人生の目標である神を悟れということだ。まず『彼』を知れ。『彼』への深い信仰を持て。それから行って他社につかえよ。人が神を悟って『彼』の道具として働くとき、彼は自分自身の内に平安を見出し、他者にも平安を与える。
 私の師はよくおっしゃった、「神は『彼』の信者たち、つまり『彼』の子供たちのハートの中にお現われになる」と。それだから、我々は心を清めておかなければいけない。『彼』のご住居は心の清い者のハートの中なのだから。『彼』は不純なハートには決してお住みにならない。我々のハートが清まって透明になり、すべての過去の印象が拭い去られたとき、そのときに初めて、『彼』は我々のハートに鎮座なさるのだ。そのときに初めて、そこにお姿をおあらわしになるのである。
 純粋な心は神のお姿をはっきりと映す。もし鏡が泥でおおわれていればものを映さない。けがれた心には「主」のお姿は映らないのである。君たちは皆、まだ若い。君たちの心はまだけがれていない。自分のハートの中に、『彼』のお住みになる聖所を用意しておきたまえ。他の何ものもそこを占領しないよう、注意を払いたまえ。純粋で寂静であれ。ぜひ今生に置いて『彼』を悟れ。
 聖なる書物だけを読みたまえ。愛と神への信仰を呼び覚まさない書物は不要だ。それらはただ、人に自己の学識を自慢させるだけのものだ。私の子供よ、もし君が自分の生涯を恵まれたものにしたいのなら、もし君が自分自身の幸せを欲しているのなら、瞑想の中に深く潜りたまえ。表面を漂うことをせず、「主」の御名を繰り返して、深く潜りたまえ。
 シュリー・ラーマクリシュナは、人生の理想は離欲である、ということを人類に教えるために、この時代にお生まれになったのだ。人は快楽の対象を追い求めて自分を獣の境地に堕落させる。もし君がこの人生を生きる価値のあるものにしたいと思うなら、神に身を寄せたまえ。偽りの幸福を捨てて、永遠の幸福を追求したまえ。
 放棄せよ。この世を捨てよ。「主」のために一切のものを捨てよ。『彼』を我が身内とし奉れ。「『御身』はわれらの『父』、『御身』はわれらの『母』、『御身』はわれらの『友』、『御身』はわれらのすべてのすべて。」
 我々が世俗の楽しみを捨てて神を思い神を瞑想しつつ日々を過ごすようになったときに初めて、我々はこの人生を恵まれたものとなし、真の幸福を受け継ぐであろう。
 神を悟には三つの条件が必要である。人間に生まれること、解脱への切望、および明智を得た魂に師事すること、である。神の恩寵によって、君はこの三つ全部を恵まれている。それらを最大限に活用し、今生が無駄に費やされないような具合に、自分の人格を形成したまえ。一時的な快楽を求めず、永遠の幸福を見出したまえ。この一事を忘れぬようにせよ―― 仮に君がこの次にまた人と生れて解脱を切望しても、現在ここで恵まれているような悟った魂たちとの交友には巡り合えないのかもしれないのだよ。これは会い難い特典なのだ。幾多の過去世を通じて蓄積された、莫大な功徳の結果なのである。稀なる幸運に恵まれて、君はシュリー・ラーマクリシュナの軌道の圏内に入ってきた。むなしい言葉によってこの人生を浪費することなどのないよう、気を付けたまえ。
 信仰だ! グルの言葉に深い信仰を持つなら、君はあらゆることを成就するだろう。グルの言葉を信じることができなければ、霊的生活に成果は得られない。子猫が母猫に身を任せるように、自分を彼に全面的にゆだねよ。そうすれば彼が、君を世話し、助け、導くであろう。
 君の知性がどこまで役に立つというのだ。グルの下に避難せよ。彼は、もっと深い悟りと、そして責任感とをもって君よりも君を理解し、すべての落とし穴から君を守るであろう。グルの翼の下に守られている弟子には、決して災いは起こらないものだ。
 人は神を見出すまではさまざまな間違いを犯すものだ。しかしもし彼がグルに身を寄せるなら、間違いの恐れは少なくなる。シュリー・ラーマクリシュナはよく、もし父親が子供の手を引いていれば子供は転ぶ恐れはない、とおっしゃった。ちょうどそのように、もし君が間違いを犯しても、君がその中に避難をしたグルが、君のすべての不純性を拭い去ってくれるだろう。
 放棄をしなければ平和は得られない。執着を離れよ。善を見出し平安を得るためには、神のために一切を捨てたまえ。人はそのつもりにさえなれば、執着を捨てて神を捨てることができるのだ。それだから、すべての欲望を放棄して、『彼』にしっかりとしがみつきたまえ。
 放棄は、宗教上の習慣に従った装いなどとは何の関係もないものだ。見世物ではないのだから。わが身のためには何一つ残さず、自らを完全に神にささげきった者だけが、出家修行者である。
 「この身、この心、この理解―― 私は何もかもを『あなた』に差し上げます。これらは『あなた』のものでございます。『あなた』の道具としてお使いください。」絶えず『彼』に祈りたまえ、「『主』よ、何が善で何が悪であるか、わたしにはわかりません。私は『あなた』のものです。どうぞ私を、『あなた』のお好きなようになさってください」と。祈るのだよ! 絶えず祈りたまえ。『彼』を君の、唯一の避難所としたまえ。

 ――スワミ・ブラフマ―ナンダ

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