◎施し
【本文】
富は移ろうもの、またむなしいものと知って、定めに従って、出家修行者、ブラーフマナ、貧しい人、知人に、施しを行なってください。人に施すこと以上の友人はありません。
これはこのままですね。特にこの人は王様なので、財をたくさん持っているので、出家修者、ブラーフマナ――ブラーフマナっていうのは、インドのカーストでお坊さんですね。代々お坊さんの人。それから貧しい人や知人に布施をしてくださいと。それ以上の友人はありませんと。というのは、つまりこれは徳が積まれるわけだから。徳というのは自分を裏切らないわけだね。積んだ徳というのは必ず返ってくる。だからそれ以上の友人はないんですよと。
前もちょっと話したけど、「西遊記」の中で印象深い話があって、西遊記というのはドラマでやっているようなああいう西遊記じゃなくて、あの元になっている中国のね、小説があるんですが。あれは実は、仏教と仙道の修行の秘儀が隠されているといわれています。
三蔵法師の弟子の悟空と沙悟浄と八戒っているよね。仏教の修行の進み方って、大雑把にいうと「戒・定・慧」というんだね。戒・定・慧というのは、まず戒律を守り、そしてサマーディ――究極の瞑想状態に入り、最終的に空の智慧を得る。この三つのパターンがあるんだけど、あの三人の弟子はそれをあらわしているともいわれている。
まず一番目の八戒というのは、こいつは物語を見れば分かると思うけど、戒律を破るんだね。戒律を破るというか、女と酒と食べ物が大好き。町々で女をたぶらかしたり、いっぱい食ったり、酒飲んだりして暴れてる。だから名前が八戒なんです(笑)。あいつは戒律を守らないから、まずは戒だと。
次に沙悟浄。沙悟浄というのは、浄化の浄だけども、この人の役割というのは、西遊記を思い起こせば分かると思うけども、あんまり印象ないでしょ、沙悟浄って(笑)。あまり働かないんです。つまり完全にサマーディに入ってるから。よくも悪くもあまり活躍はしない。しかし非常に清らかである。これが沙悟浄だね。
で、悟空っていうのは、あの名前は「空を悟る」――つまり空の悟りをあらわしているんだね。しかも三蔵法師が取りに行った経典というのは、大乗の教えなので、単純にサマーディに入って何もしない、ああ寂静ですねっていう世界ではなくて、悟空というのはある意味、非常に智慧が働くんだね。なんかいろんな出来事が起きると、いろいろ悪いところもあるんだけども、いろいろ智慧を働かせて物事を解決していく。これが空の智慧を悟った悟空の境地だと。それをあらわしているとかいわれている。
それ以外にも物語の中に、いろいろ現われてくる妖怪との戦いとか、あるいは悟空が乗り越えていくいろんなことっていうのは、仙道修行、あるいは仏教修行のいろんな境地をあらわしているといわれてるんだね。
まあそれはいいとして、その西遊記の最初の方で出てくるエピソードがあって、それは何かっていうと、ある王様が亡くなって、死後の世界をさまようんだけど、あることがあってもう一回、人間界に帰ることになった。その帰り道をさまよっていたら、人間界に戻る途中に餓鬼界の群れがあった。その餓鬼界の群れが交通渋滞を起こしてて、そこを通れなかったんだね。王様はすごく哀れになって、実際通れないというのもあるし、その餓鬼も哀れだと。何とかして彼らを救うことはできないかと考えた。そこで死後の世界の王様にアドヴァイスしていた神みたいなのがいて――ちょっとこれはおとぎ話的な話なんだけど――「彼らは貪りによって苦しんでいるので、彼らの代わりに多くの布施をもし行なうことができるなら、彼らを救い、ここも通ることができます」ということだった。 王様はもちろん、人間としてはものすごくお金持ちだったけども、死後の世界ではお金を持ってなかったから、「いや、わたしは何も持っていません」と。「どうしたらいいでしょうか」って言ったら、そのアドヴァイザーの神が、「いや、実は、天のある倉庫があって、そこに膨大な天のお金があります」と。「この持ち主はあなたの――つまり王様が住んでいる国のある一人の男です」と。
その男っていうのは王様も知っていたんだね。この男ははっきりいってみすぼらしい貧乏な男だった。しかし生まれたときから、布施とか人への善が大好きで、徹底的に布施とか人を救うことをやってきたんだね。でも貧乏だった。でも実は天の倉庫にものすごい金が貯まってた。
――つまりこれが徳なんだね。その人は一見貧乏にみえて、ものすごい徳の持ち主だった。で、その神は王様に、「借用書を書いてちょっと借りなさい」と言った。――ちょっと面白い話なんだけど――そこで王様は死後の世界で借用書を書いて、天の倉庫にあるその男の天のお金をもらって、供養をして、布施をして、餓鬼を救った。こうしてそこを通って人間界に帰ってきました。
で、人間界に帰ってきた王様は、ぱっと王様の肉体に目覚めるんだけど、自分が今経験してきたことを覚えていたわけだね。そこで例の男のところに行って、借用書を出して、「お前に借りたから」って言って、ものすごい膨大な金銀財宝を男にプレゼントしたっていう話があって。
これはちょっとおとぎ話的な話なんだけど、つまりこの世で形が見えなくても絶対に、やった善あるいは布施・徳というのは、当然ストックされているわけだね。それはいつ返るか分からないものとしてストックされている。これは絶対裏切らないんだと。――これがここに書かれている、「布施こそ最高の友人だ」という意味だね。
だから逆もあるよ。悪業も絶対に裏切らない。悪業ってすぐ返るわけじゃないから、いろんな戒律を破ったり、人に悪いことをしたりして悪業を積んでると。でもこの世ではのほほんと生きている人がいる。でもこれは、もちろん見えないだけで、悪業のストックというのはたくさん貯まってる。これも絶対裏切らないんです。どんなことがあっても、その苦しみというのは将来返ってくる。
つまりもう自分のためなんだね、ベースは。別に仏教とかヨーガで、正しく生きましょう、戒を守りましょう、っていうのは、道徳的に人のためにというんじゃないんです。ベースはね。自分が幸せになりたかったら悪いことするなということなんだね。道徳的に社会をうまくやっていくために、悪いことをするな、じゃないんです。そのカルマの法則というのは、絶対に裏切らないということだね。