聖者の生涯『釈迦牟尼如来』(10)
人々に教えを説くことを決意した世尊は、まず最初に誰に教えを説こうかと思案しました。そして、かつて教えを受けたアーラーラ・カーラーマなら、この法を理解できるだろうと思いました。
しかしそのとき、ある神が世尊のもとにやってきて、こう告げました。
『賢者よ。アーラーラ・カーラーマは、七日前に死にました。』
世尊釈迦牟尼も自らの神通力によってそれを知り、こう思いました。
『アーラーラ・カーラーマは、天性優れた人であった。もしも彼がこの法を聞いたならば、速やかに理解できたであろうに!』
そこで世尊は、かつて教えを受けたウッダカ・ラーマプッタに教えを説こうと思いました。
しかしそのとき、ある神が世尊のもとにやってきて、こう告げました。
『賢者よ。ウッダカ・ラーマプッタは、昨晩死にました。』
世尊釈迦牟尼も自らの神通力によってそれを知り、こう思いました。
『ウッダカ・ラーマプッタは、天性優れた人であった。もしも彼がこの法を聞いたならば、速やかに理解できたであろうに!』
そこで世尊は思案をめぐらし、かつて苦行時代に自分に仕えてくれた五人の修行者達に教えを説こうと考えました。
そして清浄で超人的な天眼によって、彼らが今、ヴァラナシの鹿の園にいるのを知り、歩いてそこへと向かいました。
一方、五人の修行者達は、はるか遠くから世尊が近づいてくるのを見て、互いにこう言いました。
『友よ、修行者ゴータマがこちらにやってくる。彼は努力を怠り、贅沢に走った。だから彼がこちらに来ても、挨拶をしたり、出迎えたりする必要はないぞ。』
しかし如来が彼らに近づくと、彼らは自己を静止することができず、互いに約束を破って自然に如来を出迎え、挨拶し、足を洗う水を用意しました。
そして修行者達が世尊に向かって、以前のように、『友よ』あるいは『ゴータマよ』と呼びかけると、如来はこう言いました。
『ビックたちよ、如来に対して名前で呼びかけてはいけない。また【友よ】などと呼びかけてもいけない。
如来は、アラハント(供養を受けるにふさわしい者)であり、正しく覚醒した者なのである。
ビックたちよ、法を聞く耳を用意しなさい。わたしは不死の法を獲得したのだ。わたしは君達に教示しよう。その法をお前達に説こう。
君達がわたしに教えられたとおりに実行するならば、やがて時ならずして、無上の梵行を完成し、この現世において明らかな悟りに到達するであろう。』
世尊がこのように言ったとき、五人の修行者は、こう問い返しました。
『尊者ゴータマよ。あなたは、これまでの規律にかなった起居動作、修行、そして苦行をもってしても、人間を超えた最勝の叡智と見解を得ることはできなかった。それなのに今、努力を怠り、贅沢に走りながら、どうして人間を超えた最勝の叡智と見解を得ることができようか。』
こう言われて、世尊は修行者達にこう言いました。
『ビックたちよ、如来は決して、努力を怠り、贅沢に走ったのではない。
ビックたちよ、如来は、アラハント(供養を受けるにふさわしい者)であり、正しく覚醒した者なのである。
ビックたちよ、法を聞く耳を用意しなさい。わたしは不死の法を獲得したのだ。わたしは君達に教示しよう。その法をお前達に説こう。
君達がわたしに教えられたとおりに実行するならば、やがて時ならずして、無上の梵行を完成し、この現世において明らかな悟りに到達するであろう。』
このような問答が三回繰り返された後に、世尊は修行者達に、『四つの聖なる真理』の教えを説きました。それは、簡単にまとめると、次のようなものです。
1.苦しみの真理
生・老・病・死は苦である。
憎い人に会うのも苦しみである。
愛する人と別れるのも苦しみである。
欲するものが得られないのも苦しみである。
要約すれば、五つの執着の集まり(色受想行識=五蘊)は苦しみである。
2.苦しみの生起の原因の真理
欲望に対する渇愛と、生存に対する渇愛と、生存の滅無に対する渇愛が、苦しみの生起の原因である。
3.苦しみの止滅の真理
渇愛を余すところなく滅し去り、捨て、放棄し、取り去り、離脱し、もはや執着することのないようにすることによって、苦しみは止滅する。
4.苦しみの止滅にいたる道の真理
聖なる八支の道の実践により、苦しみの止滅にいたる。
その八つとは、正しい見解、正しい思惟、正しい言葉、正しい行ない、正しい生活、正しい努力、正しい念、正しいサマーディである。
世尊がこの教えを説かれたとき、五人の修行者の一人であるコーンダンニャに、けがれのない清らかな法の眼が生じました。それを知った世尊は、
『ああ、コーンダンニャは悟ったのだ』
と言いました。こうしてこのときからコーンダンニャは、『アンニャータ(悟った)・コーンダンニャ』と呼ばれるようになりました。
悟りを得たコーンダンニャは、世尊に対してこう言いました。
『尊師よ、私は世尊のもとで出家したく存じます。わたしは世尊のもとで、完全な戒律を受けとうございます。』
すると如来はこう言いました。
『来たれ、修行者よ。法は十分によく説かれた。正しく苦しみを滅するために、梵行を行なえ。』
それから世尊は、他の四人たちに対しても繰り返し教えを説き、それによって全員が悟りを得、世尊の出家した弟子となったのでした。
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