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聖者の生涯『釈迦牟尼如来』(9)

 そして七日後、世尊は、サマーディから出て、ムチャリンダ樹の下から立ち上がり、ラージャーヤタナ樹の下に座り、ずっと蓮華座を組んだままで、七日間の間、解脱の楽しみを享受しつつ座っておられました。
 ちょうどその頃、タプッサとバッリカという商人が、この地にいたる道を歩いていました。するとそこへ、前世においてこの二人の親戚であったある神がやってきて、二人に告げました。
『君達よ。世尊が悟りを開いて、今、ラージャーヤタナ樹のもとにおられる。行って、かの尊師に供物を供養しなさい。それは永い間にわたって、君達に利益と安楽をもたらすでしょう。』
 そこでタップサとバッリカは、麦菓子と蜜団子を持って世尊のもとへ行き、世尊に挨拶してこう言いました。
『尊師よ。我々のために麦菓子と蜜団子をお受け取りください。それが永い間にわたって、我々に利益と安楽をもたらしますように。』
 そして世尊がそれを受け取って食べ終わった後、タップサとバッリカは、世尊の両足に頭をつけて礼拝し、世尊にこう言いました。
『尊師よ。我々は仏陀とダルマとに帰依いたします。我々を在俗信者(ウパーサカ)として受け入れてください。今日から命の終わるまで帰依いたします。』
 こうしてこの二人は、この世において初めて仏陀とダルマに対する帰依を唱えた在俗信者となったのでした。

 そして七日後、世尊は、サマーディから出て、ラージャーヤタナ樹の下から立ち上がり、アジャパーラ樹の下に座りました。
 そこで一人思索をめぐらしていた世尊に、次のような思いが沸き起こりました。

『私の悟ったこの真理は深遠で、見がたく、難解であり、静まり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみがよく知るところのものである。
 ところがこの世の人々は、執着のこだわりを楽しみ、執着のこだわりにふけり、執着のこだわりを喜んでいる。このような人には、縁起という道理は見がたい。また、全ての形成作用の静まること、全ての執着を捨て去ること、渇愛の消滅、貪りを離れること、止滅、ニッバーナというこの道理もまた見がたい。
 だからわたしが教えを説いたとしても、もしもみながそれを理解してくれなければ、わたしには疲弊と憂慮があるだけだ。

 --困苦してわたしが得たものを
 今また、どうして説くことができようか。
 貪りや嫌悪に打ち勝たれた人々には
 到底この教えは悟りがたい。
 この法は、世の流れに逆らい、微妙であり
 深遠で見がたく、繊細であるから
 欲を貪り、暗闇に覆われている人々には
 到底見ることができない。』

 世尊がこのように考えているとき、ブラフマー(梵天)・サハンパティは、世尊の心の思いを知って、こう思いました。
『ああ、この世は滅びる。実に如来・アラハット・正覚者である世尊の心が、説法したいと思われないのだ!』

 そこでサハンパティは、梵天界から姿を消して世尊の前に現れました。そして仏陀に合掌・敬礼して、このように言いました。

『尊師は法をお説きください。この世には生まれつき汚れの少ない人々がおります。彼らは法を聞かなければ後退しますが、法を聞けば、真理を悟る者となるでしょう。

 --願わくはこの不死の甘露の門を開き
 無垢なる者の悟った教えを聞かせてください。
 たとえば山の頂の峯に立って
 あまねく全ての人々を見るように
 智慧の優れた、あまねく見る眼ある人よ
 自らはすでに憂いを超えておられるのですから
 願わくは、あなたは法よりなる高楼に上り
 愁いに沈み、生と死に襲われている全ての人々を
 見そなわせたまえ。
 立て、英雄よ、戦勝者よ
 隊商の主よ、負債なきひとよ、世間を歩みたまえ。
 世尊よ、法を説きたまえ。
 悟りを得る者もいるでしょう。』

 このように言われて世尊はサハンパティに、自分の考えたことを述べました。サハンパティは、二度、三度と、同様に世尊釈迦牟尼に懇願し続けました。

 このように梵天サハンパティに懇願された世尊は、衆生への哀れみの心によって、悟りの眼によって、この世の中を観察されました。すると世間にもさまざまな人々がいて、ある人々は、来世と罪過への恐れを知って暮らしていることを知りました。
 そこで世尊は、梵天サハンパティにこう言いました。

『耳ある者どもに、不死の甘露の門は開かれた。
 おのが信仰を捨てよ。
 ブラフマーよ。人々を害するであろうかと思って、
 わたしは微妙で巧みな法を、人々に説かなかったのだ。』

 そこで梵天は、『わたしは、世尊が法を説かれるための機会を作ることができた』と考え、世尊を礼拝し、右回りの礼をして、姿を消しました。

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