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ゴーラープ・マーの生涯(8)

 1885年の中ごろ、ゴーラープ・マーを含めた幸運な信者たちは、師に同行して、パーニハーティでのヴァイシュナヴァの祝祭とマヘーシュでの山車祭に行くことができました。パーニハーティ祭のあとから、師ののどの痛みはひどくなり、信者たちは非常に心配しました。「シュリー・ラーマクリシュナの生涯」の中で、これと関連する興味深い記述があります。

 ある日、ゴーラープ・マーは師に、彼の喉の問題を上手に治療してくれる熟練した医師を知っていると話しました。シュリー・ラーマクリシュナはまるで小さな男の子のように飛び跳ねて、翌朝にその医師に会いたいと言いました。彼はドッキネッショルからボートでカルカッタへ行きました。医師はいくらかの処方薬を摂取するように言いました。ドッキネッショルへ帰る途中に、一行は非常にお腹がすいてしまいました。師は、信者にいくらかのお金を持っていないかたずねました。ゴーラープ・マーだけが、4パイサを持っていました。師はカーリーに、そのお金で一番近くのお店に行って何か買ってくるように言いました。カーリーはバラナゴルで、1アンナ相当の甘いおやつを買ってきました。師は皆が驚く中、それを全部食べてしまいました。そしてガンガーの水を飲み、「うん、満足だ」と言いました。すると、師のその言葉を聞くや否や、それまで空腹をこらえて黙って見ていた信者たちのお腹は満たされていったのでした。

 シュリー・ラーマクリシュナは治療のために、カルカッタのシャーンプクルに移り住み、ゴーラープ・マーは一時的に彼の食事の世話を引き受けることになりました。ホーリーマザーはドッキネッショルに残りました。
 あるとき、無邪気であまり機転の利かないゴーラープ・マーは、ヨーギン・マーに、師がドッキネッショルを離れたのは、おそらくホーリーマザーを疎ましく思ったからだろう、と話しました。ホーリーマザーはそれを聞いて愕然としました。彼女はすぐさまシャーンプクルへ向かい、涙ながらに、本当に自分のせいでそうなってしまったのかと師にたずねました。シュリー・ラーマクリシュナはすべてを否定して、彼女をなぐさめ、ドッキネッショルへ帰しました。その後、彼はゴーラープ・マーの思慮のなさを激しく叱責し、ホーリーマザーの許しを乞うように言いました。
 ゴーラープ・マーは急いでドッキネッショルへ歩いていきました。あふれんばかりの涙で、彼女はホーリーマザーの許しを乞いました。ホーリーマザーは誰に対しても嫌悪を抱くことができませんでした。彼女は笑ってゴーラープ・マーの背中を三回叩きました。
 それから数日の間に、信者たちがシャーンプクルの家を用意し、ホーリーマザーはそこに住み、師への奉仕が再びできるようになりました。

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