「私が見たアドブターナンダ」より抜粋(10)
◎出家と苦行
師ラーマクリシュナがこの世を去ってからしばらく経ったある日、ナレンドラはラトゥに言った。
「私たちは皆、正式にヴィラジャ・ホーマを行い、そしてサンニャーシン(出家修行者)となった。 君にも同じようにしてほしいと思っている。」
ラトゥ・マハラジは、ナレンドラの提案に快く賛成した。
ヴィラジャ・ホーマを行う前に、先祖達のために、そしてさらに自分自身のためにシュラッダーの儀式(葬儀)を行うことが慣習となっていた。儀式の最中、ラトゥ・マハラジはいくぶん奇妙な様子でふるまっていた。経典通りにサンスクリット語のマントラを呟かずに、彼は自分の出身地の方言を使って、簡単なやり方で死者の霊を呼び出し、こう言いながら供物を捧げていた。
「おお、父よ、ここへ来て、お座りください。そしてこの食べ物と飲み物をお受け取りください。」
その後、彼は座ってヴィラジャを行なった。
出家後、ラトゥ・マハラジは、一年半の間、一日も空けることなく、バラナゴル僧院に住み続けた。彼は、法友達と共に厳しい苦行生活に励んでいた。
ここで、この時期のバラナゴル僧院についてのラトゥ・マハラジの回顧録を記そう。
「私たちは霊的な話に没頭していた。もしその時間に、僧院の資金面を支えていたスレシュ・バーブが僧院に現れたときには、ロレン(ナレンドラ)はすぐに会話をやめ、屋根の上に隠れた。これに対してスレシュ・バーブはこう言ったものだ。
『なぜ君は小さくなって、私を避けるのだい? 私にほんの数パイサを君に与えさせるのは、師の恩寵なのだよ。
そうでなければ、君に給仕するという特権を得ている私は誰なのだい?』
スレシュ・バーブの大らかな態度を見なさい。――彼(師)がスレシュ・バーブに与えさせる。だから彼は与える! そのような態度は本当に稀だ・・・・・・。
また別の日、スワミジ(ヴィヴェーカーナンダ=ロレン)は、スレシュ・バーブが来たのを見ると、僕たちを屋根に上がらせ、こう言った。
『彼のくだらない噂話に、誰が長時間、付き合うものか!』
よって、僕たちは全員屋根に上った。スレンドラ・バーブが僧院に入って来ると、そこには誰もいなかった。彼は、涙をこらえきれずに泣き叫んだ。
『世間の心配事に焼き焦がされて、私は、しばしの間、あなた達との癒しの触れ合いを求めに来たのに、このような扱いをされるなら、私はどこに行けばよいのだろうか?』
彼の気持ちを考えても見てよ。
彼は、僧院のすべての経費を負担していた。彼は自分の存在を私たちに押し付けることもできたはずである。――彼には全面的にその権利があった。しかし彼はそれをせず、その代わりに、どれだけ私達のふるまいに傷ついたかを表現しただけだったのだ・・・・・・。
最初、ロレンは僧院に滞在していなかった。――兄弟たちシャロト(シャラト)、シャシ、ニランジャン、バブラーム――みんながよく行き来していた。彼らはアントプルから戻り、正式にサンニャーシンになってからは、僧院で生活し始めた。
ブラザー・ロレンは、当時、家族が住んでいた家の訴訟のために、窮境に追い込まれていたそうだ。だから僧院に住めなかったのだ。
1887年5月、家庭での問題が落ち着いた後、ロレンは僧院に来て、永住したのだ。また、その他の兄弟たちも集まり始め、僧院に住み始めた。――だから、彼らの親たちはよくブラザー・ロレンに苦情を言いに来た。
『この若者は諸悪の根源だ。パラマハンサが亡くなった後、私達の息子は家に安住していた。このナレンという詐欺師が彼らの心を掻き乱し、みんなを僧院に連れて行った。こいつが彼らの首謀者だ。』
ある親たちは僧院に来て、ブラザー・ロレンに罵倒を浴びせかけた。彼は言った。
『なぜ私を責めるんだ! ここにあなたの息子たちがいるではないか。連れて帰りなさい。私が彼らをここに拘束しているわけではない。』
ブラザー・ラカールは、彼の父親に直接こう話したそうだ。
『もう二度とここに来ないでください。私はここで幸せに暮らしていますから。』
ブラザー・シャシは、彼の家族の者が来たと聞くと、僧院の敷地から出て行ったものだ。彼は家族に会おうともしなかった。
ブラザー・サーラダーもまた同じような態度だった。彼は一歩先を行っていた。――放浪の旅に出たのだ。
ブラザー・ヨギンが巡礼から戻って来ると、僧院には、明らかに霊的な雰囲気が創り出されていた。その頃、バララーム・ボースも僧院を手助けし始めてくれていた。
マスター・マハーシャヤも後に続いた。僕たちは当時よくマドゥカリ・ビークシャ(托鉢)を行なっていた。」